山内義富

正月、シヅ子は京都花月劇場、続いて大阪千日前の常盤座に出演、1月21日から吉祥寺の服部良一宅の2階に世話になった。

荻窪のフランス人宅には、東宝映画のプロデューサーの杉原貞雄一家、エノケン劇団文芸部の藤田潤一一家も、焼け出されて同居しており、穎右との関係も公にしていなかったので、何かと気兼ねをしていた。

『笠置シヅ子ブギウギ伝説』(著:佐藤利明/興陽館)

そこで、思い切ってシヅ子だけ服部宅に間借りしたのである。

その後、美容院で知り合ったシヅ子のファンである荘村正栄の目黒の自宅にこの年の暮れまで世話になる。

東京はまだ焼け跡で、人々は住宅難で困っていた。家を建てることも借家もままならず、誰もがこうして知り合いの伝で家を探していた。

この頃、吉本穎右は、ステージの仕事が多忙になってきたシヅ子のためにマネージャーを付けた。戦前はコロムビア制作部にいて、敗戦後は吉本興業で働いていた山内義富である。

服部とも旧知の山内は、良い意味で「番頭」タイプで、シヅ子も全幅の信頼を置いていた。