「思いやりの一方通行」を進むことで迷い込む「苦しみの袋小路」

「長年連れ添った旦那の力になろう」

「いつも支えてくれる奥さんに感謝」

夫婦や家族同士で支え合う老老介護の根底には、こうしたお互いの思いやりの気持ちがあると私は思います。

もちろん、さまざまな事情があって、仕方なく老老介護をせざるを得ないという方もいらっしゃるでしょう。

『老老介護で知っておきたいことのすべて 幸せな介護の入門書』(著:坪田康佑/アスコム)

そのような方も、少なからず相手への思いやりがあるからこそ、時間や体力、お金といったさまざまなものを費やして介護をしているのではないでしょうか。

しかし、この思いやりが行きすぎてしまうと、どうなるのでしょうか。

あれも、これも自分ですることによって疲れてしまい、「私がこれだけ大変な思いをしているのに、この人は何もしてくれない」という思いにとらわれてしまうのも、仕方のないことです。

そんな疲れ切った介護をされていると、介護される側も「『ありがとう』と感謝しているのに、その思いが伝わっていない」と感じるようになってしまう。

そんな思いのすれ違いの中で、互いが見返りを求めてしまい「自分は相手をこんなに思いやっているのに」という、いわば「思いやりの一方通行」になっている例を数え切れないほど見てきました。

思いやりの一方通行を進んだ先に待っているのは、「苦しみの袋小路(ふくろこうじ)」です。