村上天皇の意図と摂関家の内部対立

なぜ冷泉は強引に即位させられたのか。思うに、そこには村上天皇の意図と摂関家の内部対立とが関わっている。

【図】『光る君へ』登場天皇の系図

冷泉天皇(憲平親王)は政務に耐えないので村上天皇の時代には置かれなかった関白が復活し、準摂政的な役割を兼ねた。その地位についたのは師輔の兄、藤原実頼(さねより)である。

しかし実頼は藤氏長者(とうしのちょうじゃ。藤原氏のトップのこと)だったものの、天皇の外戚(がいせき)ではないので、実際に政界を動かしていたのは中年で没した師輔の子供たち、伊尹(これただ)、兼通(かねみち)、兼家(かねいえ。演:段田安則さん)だった。

また憲平親王が立太子した天暦(てんりゃく)4年(950)には、醍醐(だいご)天皇の皇后だった太皇太后(たいこうたいごう)藤原穏子(やすこ。実頼、師輔の叔母)が健在で、村上王権の中で大きな存在となっていた。彼らは皇太子の交替より精神に問題のある天皇を即位させることを選んだのである。

じつは冷泉には皇太子時代に2人の中宮候補が入内(じゅだい)していた。村上天皇の同母兄、朱雀(すざく)天皇の一人娘の昌子内親王(まさこないしんのう)と、伊尹の娘藤原懐子(ちかこ)である。

この昌子内親王は朱雀天皇とその兄だった皇太子保明(やすあきら)親王、つまり醍醐天皇の長男の忘れ形見の熙子(ひろこ)女王を母としている。

彼女は醍醐天皇の血統では最も血筋の正しい皇族だと言える。それを新天皇に嫁がせて醍醐・朱雀・村上の血統を合一させた皇子をもうけ、天皇にして醍醐天皇嫡系の新たな天皇血統を作りたいというのが村上の意図だったと考えられる。