伊尹という奇妙な名前の由来
一方、藤原懐子の父の伊尹は師輔の長男である。翌年生まれの同母弟に兼通がいるが、師輔は伊尹に大きく期待を寄せていたと思われる。
と言うのも、伊尹という奇妙な名前が、中国古代殷(商)の時代の伝説的な賢臣の伊尹に由来しているからである。
伊尹は暴君の太甲(たいこう)を3年間追放して政治を取り(摂政という言葉はこれに由来する)、のちに反省した太甲を迎え入れて名君に育て上げたという伝説的な名政治家である。
ならば「伊尹」の名は政治家としては期待できない可能性がある冷泉の摂政たれという期待があったのではないかと思われる。伊尹は元服した時点で、摂政になるべき男とされていた。つまりどちらに皇子が産まれても、村上嫡流の次代の天皇になれる体制はすでに作られていたのである。
そして安和(あんな)元年(968)に懐子が男子、師貞親王を産んだ。この時点で冷泉天皇の嫡系は摂関家系として確保され、冷泉は、いわば用済みとなった。
『謎の平安前期―桓武天皇から『源氏物語』誕生までの200年』(著:榎村寛之/中公新書)
平安遷都(794年)に始まる200年は激変の時代だった。律令国家は大きな政府から小さな政府へと変わり、豊かになった。その富はどこへ行ったのか? 奈良時代宮廷を支えた女官たちはどこへ行ったのか? 新しく生まれた摂関家とはなにか? 桓武天皇・在原業平・菅原道真・藤原基経らの超個性的メンバー、斎宮女御・中宮定子・紫式部ら綺羅星の女性たちが織り成すドラマとは? 「この国のかたち」を決めた平安前期のすべてが明かされる。