自由過ぎることって、幸せじゃない
昨年放送されたドラマ『コタツがない家』(日本テレビ系)に、こんなセリフが登場する。
「若い頃って何にも縛られてない時間の事を自由って思いがちだけど、違うよ?時間の制約がある中で、たまに訪れる解放感のことを自由って言うんだよ」深堀悠作(吉岡秀隆)のセリフより
この言葉の意味を、今嫌と言うほど実感している。時間の使い方を全部自分で決められることって、自由過ぎることって、思ったより幸せじゃない。かえって不自由さすら感じている。
カフェなど、オフィス以外で仕事をするノマドワーカーは、お洒落、今っぽいみたいに言われがちだけど、実際そんないいもんじゃない。コーヒー代だってばかにならないし、長時間居座るのもなんだかお店に悪い。周囲の音がうるさく集中できないことだってあるだろうし、椅子の座り心地も長時間の作業に耐えうるかわからない。
出社時間があり、休憩時間があり、退勤時間がある。だから生活のリズムができるし、仕事の配分ができる。半ば強制的に仕事を切り上げることもできる。
無限に仕事ができてしまう今、仕事をしていない時間も気持ちや脳が休まらず、何もしていないとなんだか罪悪感がある。この時間、この日は休み!とパツっと決まっていた時のように、仕事以外の時間をしっかり休むことができない。