25歳で入内した藤原高子

前回でも触れた平安時代を代表する美男・在原業平。彼と恋の逃避行をしたことで有名な藤原高子は貞観8年(866年)、25歳で入内し清和天皇の女御となりました。

これは当時としては、相当おそい。通常より10年は遅いのではないでしょうか。

その理由はといえば、天皇が幼かったため。実際、結婚したとき天皇は16歳でしたから、高子さんより9歳年少でした。

何としてもわが一族の娘を女御に…という高子の養親・藤原良房(皇族以外ではじめて摂政になった人)の執念がうかがえます。

※本稿は、『応天の門』(新潮社)に掲載されたコラムの一部を再編集したものです。


「失敗」の日本史』(著:本郷和人/中公新書ラクレ)

出版業界で続く「日本史」ブーム。書籍も数多く刊行され、今や書店の一角を占めるまでに。そのブームのきっかけの一つが、東京大学史料編纂所・本郷和人先生が手掛けた著書の数々なのは間違いない。今回その本郷先生が「日本史×失敗」をテーマにした新刊を刊行! 元寇の原因は完全に鎌倉幕府側にあった? 生涯のライバル謙信、信玄共に跡取り問題でしくじったのはなぜ? 光秀重用は信長の失敗だったと言える? あの時、氏康が秀吉に頭を下げられていたならば? 日本史を彩る英雄たちの「失敗」を検証しつつ、そこからの学び、もしくは「もし成功していたら」という“if"を展開。失敗の中にこそ、豊かな"学び"はある!