25歳で入内した藤原高子

前回でも触れた平安時代を代表する美男・在原業平。彼と恋の逃避行をしたことで有名な藤原高子は貞観8年(866年)、25歳で入内し清和天皇の女御となりました。

これは当時としては、相当おそい。通常より10年は遅いのではないでしょうか。

その理由はといえば、天皇が幼かったため。実際、結婚したとき天皇は16歳でしたから、高子さんより9歳年少でした。

何としてもわが一族の娘を女御に…という高子の養親・藤原良房(皇族以外ではじめて摂政になった人)の執念がうかがえます。

※本稿は、『応天の門』(新潮社)に掲載されたコラムの一部を再編集したものです。

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