大石静さんが脚本を手掛け、『源氏物語』の作者・紫式部(演:吉高由里子さん)の生涯を描くNHK大河ドラマ『光る君へ』(総合、日曜午後8時ほか)。いよいよ2024年1月7日から放送が始まりました。しかし「藤原の名前多すぎ!」などと、さっそくネット上にはその複雑な人間関係についての感想があがっているようです。そこで2回にわたり、日本史学者の榎村寛之さんに当時の天皇と藤原氏の”複雑すぎる”関係について整理してもらいました。
左大臣源高明の出世
前編でも触れたが、冷泉天皇(憲平《のりひら》親王)と『光る君へ』に登場中の円融天皇(即位前は守平親王。演:坂東巳之助さん)の間には、為平(ためひら)親王がいた。
3人の母は藤原氏直系の北家右大臣(ほっけうだいじん)藤原師輔の娘、中宮(ちゅうぐう)藤原安子(やすこ)である。
その為平親王は、村上天皇在位時代に左大臣源高明(さだいじんみなもとのたかあきら。村上天皇の弟)の娘(名不詳)を妻にしていた。
この娘の母、つまり高明の正妻は藤原師輔の娘なので、高明は藤原摂関家とも深く結びついており、為平親王は村上天皇の皇子で左大臣高明の娘婿であるとともに、師輔の孫の夫で、そして中宮安子の子だから師輔の実の孫である。
高明が師輔の娘婿になったのは、出来がいいが母が嵯峨源氏でバックが弱く、親王にならずに臣籍降下(しんせきこうか)して源氏とならざるを得なかった高明を、摂関家に補佐させようとした、村上天皇と藤原師輔、そして師輔の娘の中宮安子の合意があってのことだろう。
そのため高明はトントン拍子に出世して、康保4年(967)には左大臣となった。源氏では嵯峨源氏の源融(みなもとのとおる)が没して以来約70年ぶりのことである。その意味では村上天皇の意図は達成されたことになる。