一条天皇即位で確立した藤原兼家流の権力

円融天皇の東宮に甥の師貞(もろさだ)親王(のちの花山《かざん》天皇。演:幼少期は伊藤駿太さん。成長後は本郷奏多さん)が立てられたのは、こういう事情がある。

円融は嫡系の天皇になることを期待された東宮の成長待ちのための、いわば中継ぎの天皇だったが、15年間と意外に長く在位した。

この間で予想外だったのは、摂政藤原伊尹が49歳で早世してしまったことである。これによって師貞親王は強力なバックがないままに即位せざるを得なくなった。

一方、円融天皇には中継ぎイメージのためか、後宮は弱小で皇子も懐仁親王(一条天皇)1人しかいなかった。しかしその皇子の母は兼家(かねいえ。演:段田安則さん)の娘、藤原詮子(あきこ。演:吉田羊さん)だったのである。

このあたりの経緯はかなり複雑なのだが、ごく単純化すると、冷泉系は実質的に嫡男の家で、摂関家長男の伊尹の系統が押していて、円融系は兼家の系統が押していた。

【図】『光る君へ』登場予定の天皇の系図

しかし伊尹を失った冷泉系は兼家の一族に圧迫されて衰退し、頼みの花山天皇も兼家にはめられて早期退位して、懐仁親王がわずか7歳で即位する。

このことにより、最高権力者の兼家が円融系の天皇を抱き込むことに成功した。そして中宮ですらなかった藤原詮子は、一条天皇の母として皇太后になり、弟道長の権力の源泉となるのである。