〈カラオケdondon〉の奥まった一室。そこは通称〈バイト・クラブ〉のための部室。ここの部員になるための資格は、【高校生の身の上で「暮らし」のためにバイトをしていること】。〈バイト・クラブ〉のメンバーは、夏夫に彼の父親のことを話すために、部室に集まり始める……。

〈前回はこちら

部屋に入ってちょっとしたらドアが開いたので、夏夫くんがもう来たのかと思ったら、悟(さとる)くんだった。
「あれ」
 ニコッて笑って軽く手を上げる悟くん。
 悟くんの動き方って、すごくスピードがあるんだ。
 ちょっと手を上げる仕草にもすごく速度がある感じ。きっと、ガソリンスタンドでの仕草が自然と出ちゃうんだと思う。ああいうところでは、きちんとはっきりとした動きをしなきゃならないんだ。
 それが、習い性になっているんだ。
「三四郎のすぐ後に入ってきたんだよ」
「そうなんだ」
 ガソリンスタンドのバイトは今日はもう終わったのか。
「なんか、夏夫に話があるんだって?」
「そう。夏夫くんのお母さんの話」
 あぁ、って悟くんが頷く。
「こないだの、なんだっけ、塚原先生から聞いたのか」
「そう。悟くんは今日は?」
 悟くんも今夜は来る予定はなかったはず。
「僕も話をしたいことができたんだ。夏夫に」
 悟くんは二年生だけど、三年生の夏夫くんのことも呼び捨てにしてる。
 実は悟くんと夏夫くんは誕生日が一ヶ月も違わないんだ。
 悟くんが四月生まれで、夏夫くんは三月生まれ。一ヶ月も違わないのに一学年違うのは昔っからなんか納得いかなかったって悟くんは言ってた。確かに四月生まれの人はそうかもな、って思う。
 僕たちのそれぞれの呼び方も、そうだ。
 普通、学校なんかでは、クラスメイトはほとんど名字で呼び合う。後は、あだ名がある人はあだ名で。たとえばクラスの近藤(こんどう)なんかは皆にコンちゃんって呼ばれる。きっと日本中の近藤さんはほとんどコンちゃんって呼ばれていると思うけど。
 ここでは、最初からいる夏夫くんが何故か昔から名前で呼ばれることが多くて、自分から夏夫でいいぞって言ったんだ。
 そして僕もどういうわけか昔からほとんどの人に三四郎! って名前で呼ばれているから、じゃあってそのまま皆で名前呼びになった。
 女子のみちかさんと由希美は、学校でも女の子同士では名前で呼ぶのはわりと普通だから違和感全然ないって言ってて、悟くんだけが、なんか名前でくすぐったいなって笑ってた。そんなふうに名前を呼ぶのは親戚のおばさんたちぐらいだって。
 けど、もう慣れたみたいだ。
 集まると話をすることが多くて、あまりカラオケをすることはないからたまに歌でも唄うかって悟くんと話していたら、夏夫くんがトレイにコーラを載せて入ってきた。
「お待たせ」
 言いながら、そしてトレイをテーブルに置くとすぐにボウタイを外して、ボタンも外す。
「昨日、みちかが来たんだ」
 どさっと座りながら夏夫くんが言う。
「みちか? 一人で?」
「そう」
「どうしたの」
「それがさ、いや、三四郎は塚原先生にオレの母さんのことを聞いてきてくれたんだろ?」
 頷いた。
「悟が今日来たのも、まだ聞いてないけど、オレのことなんだろ?」
 悟くんが頷いた。
 そうなのか。夏夫くんのことなのか。
「まったく連続でびっくりだぜ。みちかが昨日来たのはさ、みちかの母さんが、オレの母さんのことを知っていたんだ。同じ高校だったんだって」
 二人で同時に声を出さないで、わお、って口を開けてしまった。
「同級生だったとか?」
「いや違う。みちかの母さんが先輩。三歳違うから同じ時期に通ってはいなかったけど、知ってるんだってさ。それどころか、みちかのおばあちゃんもおじいちゃんも母さんのことを知っていたってさ」
「え、なんで」
 おじいちゃんおばあちゃんまで。
「うちの母さん、話していなかったと思うけど、高校生の頃に母さんの伯父(おじ)さんの喫茶店でバイトしていたんだ。それで知ってるんだって」
 それは、知ってる。
 塚原先生に聞いたから。後できちんと話さなきゃ。
「え、じゃあ」
 同じ高校ってことはって悟くんが言う。
「ひょっとして塚原先生と、みちかのお母さんも知り合いじゃないの? あ、尾道さんも」
 同じ学校ってことになる。年は違うけど。
 それに、塚原先生も喫茶店に行っていたはずだから高校じゃなくてそっちで会っているかもしれない。みちかさんのお母さんに。
「そうかもしれないけど、それはまだ確かめてない」
「知ってるって、親しいとかなの?」
「いや、そうじゃない。高校卒業以来で、ばったり偶然会ったんだってさ。オレの母さんとみちかの母さんがね。だから特に親しいってわけじゃないけど、その頃のことはよく知っていたんだってさ」
 昔の知り合いってことなんだ。
「スゴイな。どうして急にそんなに繋がっちゃうんだろう。僕の話っていうのもそうなんだよ」
「誰かが夏夫くんに繋がったの?」
 悟くんが頷く。
「うちのガソリンスタンドの店長、河野(かわの)さんなんだけど、夏夫のお父さんと同級生だった」
「えっ」
「マジか」
 驚いてばっかりだ。
「本当になの?」
「間違いない。夏夫の親父の長坂康二(ながさかこうじ)。車でうちの店にガソリンを入れに来たんだ。それで、わかった」
 悟くんが話した。
 ガソリンを入れに来たクラウンに乗っていた男の雰囲気が、夏夫くんにそっくりだったこと。
 店長さんがその人と事務所で親しげに話していたこと。それで、店長さんに確認してみたら、男が長坂康二さんで、同級生だったって。今は暴力団の組長だって。そして店長さんは夏夫くんのことも知っていた。
 長坂康二の息子だろうって。
「お母さんのことも知ってるけど、親しいわけじゃないって」
 店長さんの親友だったって。
 長坂康二さんは。
 もちろん今はヤクザであることを知ってるし、普段はまったく会うこともない。そのとき会ったのも十年ぶりぐらいだったって。
 親友だったのに会わないのは、長坂さんが自分みたいな男が友人面(づら)したら、そいつに迷惑をかけるからだって。自分は昔の友人たちに気軽に会えるような人間じゃないっていうのを、自分でわかっているからだって。
「そういう人なんだね」
 組長の、長坂康二さんは。
 同じく仲の良かった友人が亡くなってしまって、その香典を持って行ってくれって長坂康二さんは頼みに来たんだ。店長さんに。
 そして、その香典もものすごい金額で、しかも自分が出したとはわからないようにしてほしいって言っていた。
 ヤクザの知り合いだなってわかってしまって、残された奥さんや子供に迷惑が掛からないように、周りに知られないように、こっそりと仲間皆で分けて香典に入れてほしいって頼みに来た。
「すごい、いい人みたいだ」
 言ったら、悟くんは頷いた。
「店長も言っていたよ。あいつはいい奴なんだって。友人なんだって。もちろんヤクザで悪いことをたくさんやってるからそんなふうに他人には言えないけど、間違いなくいい奴だったって。そしてさ、店長さんが夏夫くんに言っといてくれって頼まれたことがあるんだ」
「オレに?」
「そう。店長が言ったことを、そのまま伝えるな」
 悟くんが言ってジーンズの尻ポケットから紙を取り出した。
「メモしておいたんだ。忘れないように。読むぞ」
「うん」
「『あいつは志織(しおり)さんのことを大事にしているし、夏夫くんのことも大切に思っている。だからっていろんなことすべてが許されるわけじゃないし許さなくていい。夏夫くんはそういう男を父親に持ってしまった。だから、割り切っていい。そういう境遇に自分を置いた男をとことん利用して、立派に育てばいいんだ。あいつは、夏夫くんが言うなら金のかかる医大にだって通わせる。さんざん脛(すね)をかじったって、迷惑を掛けたって、長坂はそれで夏夫くんに何かを求めたりしない。志織さんのことを責めたりもしない。黙って、自分の責任を果たすよ。夏夫くんが、一人立ちするまで』。以上」
 じっと黙って聞いていた夏夫くんが、ふぅ、って息を吐いた。
「それを、店長さんが」
「そう。お前の父親の、以前の親友とも言える人がそう言っていた。間違いないからって」
 夏夫くんはまた息を吐いて、髪の毛を掻(か)きむしった。
「そんな奴なのか」
「たぶんね。店長は、それこそいい人だよ。嘘なんかつかない」
「だろうね」
 本当なんだろうと思う。
「店長も言っていたけどさ、たとえば今、僕は夏夫も三四郎もいい奴だって思ってる。まだ親友とまでは思えないけど、いい友達だって」
 僕も夏夫くんも頷いた。そう思ってる。
「もしもこの先に会えなくなってしまったとして、十年後ぐらいに夏夫や三四郎が刑務所に入ったとしても、あいつはいい奴だったんだよって人に言えるし、刑務所から出てきたら会いに行けると思うんだ。できることはしてやろうって気にもなると思う」
「店長さんと、長坂康二さんもそういう関係なんだね」
「そういうこと」
 友達って、きっとそういうものなんだと思う。
 僕たちはまだ高校生で、十年前なんて小学生だ。
 小学校の頃の同級生で仲が良かった連中でも、今は全然会わないやつがたくさんいるし、忘れてしまってるやつもいると思う。その中には、別に会いたくもないような男になってしまったのもいるんだ。
 その頃に仲が良かったとしても、それは小学生だったからって。何もわからない、わかっていない子供だったからだよって言える。
 そういうのとは、また違うんだ。
 今、友達になった人たちは、いい奴だって思えた人たちは、その気持ちは十年後も二十年後も変わらないのかもしれない。たとえそいつが変わってしまったとして、あの頃の思いを忘れたりはしないんだと思う。
「わかった」
 夏夫くんが、頷いて言う。
「なんか、わからないけど、ちょっとわかった」
 自分でそう言って、笑った。
「変な言い方だけど、なんとなくさ。自分の気持ちと現実の、なんていえばいいのかな」
「折り合いの付け方?」
「それな。納得する方向性? そんな感じの」
 わかるから、頷いた。悟くんもうん、って頷いた。
「妥協、じゃないんだと思うよ。今まで夏夫が思っていた父親への感情の方向性を変えるのはさ」
「そうだな」
 そう思う。
 たぶん、見えてくるんだ。今まで見えなかったところが、ちょっとしたことで見えてくる。
 ひょっとしたら、それが大人になっていくってことなのかもしれない。
「それで? 塚原先生はなんて言ってたんだ」
「うん。先生は、お母さんの二つ下で同じ高校だったのは聞いたよね」
 この間来たときに、夏夫くんに話していた。
「僕も教えてもらったことを、そのまま話すね」
 夏夫くんのお母さん、志織さんの伯父さんが、後継ぎがいなくて閉めたけれど喫茶店をやっていた。志織さんは休みの日によく手伝いに行っていた。本人も、そういう客商売みたいなのが好きだったらしい。
「きれいな人で、そこの喫茶店の看板娘になっていたんだって。そして、長坂康二さんは、当時はまだ幹部で、そこのお店のお客さんだったんだ。志織さんが手伝いに来る前からね。塚原先生も、悟くんのところの店長さんと同じようなことを言っていたよ」
 長坂さんはヤクザだってことを隠してもいなかったけど、表に出してもいなかった。いわゆる素人(しろうと)に、堅気の人にどうこうするような人では決してなかった。
「先生は、直接知り合いにはならなかったけれど、お店で会ったことが何度かあったって。そして、志織さんの一目惚(ぼ)れみたいなものだって」
「一目惚れ、か」
 悟くんは小さく呟(つぶや)いた。
「当時の長坂さんは三十半ば。そういうふうに言うのはなんだけどって先生は言ったけど、アプローチしたのは志織さんの方で長坂さんはそれを無視していた。ヤクザに惚れるなんてバカの骨頂だって。それで、長坂さんはお店に顔を出すことも止(や)めたんだって」
「止めたのか?」
 夏夫くんが少し驚いた。
「止めた。もう来ないって店主だった伯父さんにも言って。でも、志織さんは、自分の家を出て長坂さんの家に押しかけたんだって」
「押しかけたの?」
「その前に、志織さんは長坂さんの暴力団の事務所をにも行ったんだって。自分がもう店を手伝うのは止めるから、お店には来てくださいって。私のせいでお客さんが減るのは困るって。暴力団の事務所にまで来るなんてとんでもない話だから、長坂さんはまたお店に通い出したんだ」
「それでまた会い出したのか」
「あくまでも、店の中だけでね。そういう約束をさせたんだって。長坂さんが、志織さんに」
 でも、志織さんは、諦めきれなかったんだ。
「志織さんのために言うなら〈運命の恋〉だったんだって先生は言ってた。抗(あらが)えない強い思い。ダメだって頭ではわかっていても、そこに向かっていってしまうんだって。志織さんは、そういう恋をしてしまったんだって」
 塚原先生は、そう言っていた。
「志織さんが一目惚れしてから、家を出て押しかけて、長坂さんが結局はそれを受け入れるまで、最初から最後まで見ていたのは、私だけだろうって」
「だからか」
 夏夫くんが言う。
「オレの赤ちゃんのときを知ってたりしたのは」
「そうらしい」
 長坂さんは、志織さんのためにアパートの一室を用意して、自分と一緒に暮らすことはさせなかった。
 志織さんは自分で高校を辞めてしまったけれど、きちんと高卒の資格も取らせたし、通信教育で短大も卒業させたって。
「普通っていうか、そういうヤクザの内縁でも奥さんみたいになると、部下たちが世話をしたり、ほら〈姐(あね)さん〉みたいな感じになっちゃうんだけど、それもさせなかったって」
「ヤクザの仲間にはさせなかったってことだね?」
「そう言ってた」
 だから、先生も安心して志織さんに会いにいったりしていた。
「それからずっと、長坂さんが志織さんの家に住んだりしたことは一度もないんだって。遊びに行ったり、赤ちゃんの夏夫くんに会いに行ったりはしていたけれどね」
 絶対に、ヤクザの世界には入り込ませないようにしている。それは、長坂さんの意志で。
 ヤクザの組長だけど、長坂さんはそういう人なんだ。
「だからって、本当にいい人なわきゃないけどな」
 夏夫くんが言って、悟くんも頷く。
「そうだね。店長も言っている。ヤクザなんだから、絶対にかかわり合いになるなって。街でばったり会っても知ってるような素振りを見せるなって」
 そう思う。
 違う世界の人なんだ。同じ町に暮らしていても、決して踏み込んではいけない世界の人。
「なんだかな」
 夏夫くんが言う。
「親を選んで生まれてくることはできないっていうけどさ、違うよな。そこをスタート地点にして生まれちゃったけど、ゴールは自分で選べることにちゃんと気づけってことだよなきっと」
「あ、そうだね」
 悟くんが、頷く。
「案外、僕たちみたいにスタート地点が低いところになっちゃった人は、その分上を見ていろんなものが見えるんじゃないの?」
「上からだと、下が見えないからね」
 運動も、そうだ。
 階段を上がるのと下るのとどっちが辛いかっていうと、実は下る方がきついんだ。僕らは、ずっと自分の力で上がっていける。

 

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