老舗・桜山ホテルで、憧れのアフタヌーンティーチームで働く涼音。
甘いお菓子を扱う職場の苦い現実にヘコみながらも、自分なりの「最高のアフタヌーンティー」企画を作り上げることができた。
そして、最初は対立していたシェフ・パティシエの達也との距離も変化していく。

――そこから3年、涼音に大きな変化がおとずれる……。

 七月に入り、日差しが一層眩しくなった。まだ梅雨は明けていないが、ここ数日晴天が続き、桜山ホテルの日本庭園の樹々は、旺盛に緑を茂らせている。
 東京に外資系を含む宿泊施設(アコモデーション)は随分増えたが、都心でこれだけ自然豊かな庭園を持つホテルはやはり珍しい。配膳室(パントリー)から眺めるラウンジの光景は、まるで避暑地のリゾートレストランのようだ。
 調理班が運んできたスイーツの皿を、瑠璃は銀色の三段スタンドに手早くセットした。
 完熟パパイヤのショートケーキ、パイナップルのタルト、パッションフルーツのエクレール……。
 トロピカルアフタヌーンティーのスイーツは、向日葵を思わせる明るい黄色やオレンジがテーマカラーで、いかにも夏らしい。
 メインの特製菓子(スペシャリテ)はマンゴーとキウイのセミフレッドだ。セミフレッドとは半解凍のアイスケーキで、アイスクリームやジェラートの原型だといわれている。
 アフタヌーンティーチームのシェフ・パティシエール、山崎朝子は、キューブ型にカットしたセミフレッドをピックで交互に刺し、それを冷やしたグラスに盛り付けていた。
 マンゴーのオレンジとキウイのグリーンの対比が、眼にも鮮やかで美しい。 
「林先輩」
 ラウンジで唯一の男性スタッフの俊生が押してきたワゴンに、瑠璃は三段スタンドを丁寧に載せた。
「五番テーブルさんにお願い。セミフレッドは半解凍だから、できれば冷たいうちにお召し上がりくださいって勧めて」
「了解です」
 高い上背をかがめて、俊生がワゴンを押していく。その後頭部に軽い寝癖がついているのが気になったが、最初の頃に比べれば、俊生の接客もだんだん様になってきているようだ。多少たどたどしいながらも、柔らかく丁寧な俊生の接客態度は、特に老齢の婦人たちに受けがいい。
 さて――。
 これで、第一弾のゲストへのサーブはすべて終わったはずだ。一息つき、瑠璃はパントリーからラウンジの様子をそっとうかがう。  
 窓側のテーブル席では、背広姿の中年男性がアフタヌーンティーを食べていた。
 シーズナルメニューが変わるたび、必ず一人でラウンジを訪れる、通称〝ソロアフタヌーンティーの鉄人〟だ。
 恐らく有給か半休を使い、ゲストの少ない平日の午前中を狙って現れるあたり、筋金入りのアフタヌーンティーマニアではないかと、瑠璃たちは踏んでいる。
 一見、髪も心許なく、風采が上がらない、少々くたびれたオジサンなのだが、セイボリーやスコーンを食べる作法や仕草が堂に入っていて美しい。なにより、心からアフタヌーンティーを楽しんでいることが伝わってきて、見ているこちらまでが幸せな気分になるのだ。
 今日も鉄人はすっと背筋を伸ばし、庭の景色を愛でながら、美味しそうにエクレールを食べていた。
 日本ではエクレアという名称でも親しまれるエクレールは、シュー・ア・ラ・クレームと並ぶ、シュー生地とカスタードクリームを組み合わせた代表的なフランス菓子だ。
 朝子はこのエクレールが得意で、和三盆や抹茶やフランボワーズ等を使った様々なバリエーションを、毎回スイーツのメニューに加えていた。
 今日の鉄人のセレクトは、春摘み(ファーストフラッシュ)と夏摘み(セカンドフラッシュ)を贅沢にブレンドしたダージリンティー。ここに飛鳥井シェフがいたら、ペアリングもばっちりだと唸るだろう。
 優雅にカップを傾けながら、スイーツを食べている様子を眺めていると、冴えないオジサンがいつしか古(いにしえ)の貴婦人の姿に見えてくるのだから不思議なものだ。
「瑠璃ちゃん、お疲れ様」
 そこへラウンジのチーフの香織がやってきた。
「これで、午前中はとりあえず一段落ね。少し早いけど、昼休憩に入ってくれる?」
 棚に供えられた茶葉の缶をチェックしながら、香織が指示を出す。
「了解っすぅ」
 敬礼を返し、瑠璃はパントリーを後にした。
 途中、厨房に寄り、セイボリー担当の秀夫が用意しておいてくれる賄いのサンドイッチをピックアップする。
 今日のサンドイッチは、瑠璃の好きなコンビーフとクレソンだ。牛もも肉と香味野菜をじっくり煮込んだ秀夫特製のコンビーフは、缶詰とは比較にならないほど美味しいのだ。
 誰もいないバックヤードに入り、ホテルのシンボルカラーである桜色のスカーフを緩めた。
「まだ時間も早いしな……」
 紙に包んだサンドイッチにかぶりつく前に、瑠璃はスタッフ用のノートパソコンのスイッチを入れた。
 瑠璃は画像投稿サイトのラウンジ公式アカウントの運営も担当している。
 サンドイッチを撮影し、「本日の賄い」というハッシュタグをつけて投稿した。これも、マーケティングを兼ねるラウンジスタッフの大事な仕事の一つだ。瞬く間に、いくつかの「いいね」がつく。SNSの拡散作用はバカにならない。
 次に瑠璃は、「桜山ホテル」「アフタヌーンティー」のハッシュタグをたどってみる。続々とサマーアフタヌーンティーの投稿画像が現れた。その一つ一つに、瑠璃も感謝を込めて「いいね」を返していく。
 アフタヌーンティーだけではなく、庭園の緑や、江戸風鈴を映した写真もあった。中でもシダが影を落とす清流や、木漏れ日を散らす青もみじなどをセンス良く切り取った写真が眼を引いた。
「この人の投稿、本当にすてき」
〝クリスタ〟というアカウント名の投稿を、瑠璃はうっとりと眺める。
 桜山ホテルの常連のものと思われるアカウントには、ラウンジや庭園の他に、手製らしいシルクフラワーやビーズアクセサリーの写真が掲載されていた。
 野菜たっぷりのスープ、ハナミズキの緑、仄かに灯るカンテラの写真もある。
 この手の投稿サイトにありがちな〝いかしたアテクシ〟的な自分語りが一切ないので、どのゲストの投稿なのかは見当もつかないが、きっとすてきな女性なのだろう。
 たくさんの「いいね」をつけてから、瑠璃は画像投稿サイトのブラウザを一旦閉じ、予約リストのページを開いた。連日大盛況だった蛍シーズンは終わったけれど、これからは夏休みの繁忙期がやってくる。
 八月には、サマーアフタヌーンティーの一部のメニューがマンゴーから白桃に変わるため、常連客は先々まで予約を入れていた。
 最近、白桃は苺に並び、アフタヌーンティーの人気テーマになりつつある。
 来月の予約リストをスクロールしていくうちに、見覚えのある名前にぶつかり、瑠璃ははたとマウスを操っていた手をとめた。
「うへぇ」
 思わず声が漏れる。
 篠田和男(しのだかずお)。忘れもしない。先月ラウンジにやってきて、瑠璃たちを怒鳴り散らしたクレイマーもどきの客だ。
 サヴォイ、クラリッジスといった英国高級ホテルのコース仕立てのアフタヌーンティーを引き合いに、桜山ホテルのラウンジの三段スタンドを「邪道だ」「見掛け倒しだ」と、散々腐してきた。
 わざわざ周囲のゲストにも聞こえるように大声で吹聴するのだから、まさに顧客による嫌がらせ(カスタマーハラスメント)というやつだ。
「あのカスハラジジイ、またくんのかよ~」
 パソコンの画面を眺めながら、瑠璃はぼやく。
「そんなに本場がいいなら、頼むから、ここじゃなくてロンドンのホテルにいってくれよ」
 なにも知らない若い娘は黙っていろと上から目線でこき下ろされたことを思い返すと、ほとほとうんざりする。とはいえ、外部の予約サイト経由でブッキングされてしまった以上、今更満席だと断ることもできそうになかった。
 今度また、あのジジイが「シェフを呼べ」と騒いだら、香織は再び秀夫に対応を任せるのだろうか。想像しただけで気が重い。
 もともとあまりそりの合わなかった香織と朝子は、カスハラジジイの対応以来、一層ぴりぴりしている。
 今週の企画会議も酷かった。
 週明けの会議の様子を思い返し、瑠璃は我知らず溜め息をつく。

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