折口信夫氏(右)と修善寺にて(1953年)(写真提供◎岡野さん)

尊敬する師の間近で徹底的に歌を学ぶ

皇學館普通科を卒業後、東京の國學院大學に入学しました。その頃から、世の中はどんどん戦時色が強くなっていった。私も兵役にとられましたし、級友のなかには戦死した人もかなりいます。戦後しばらくは、「自分は生き残った」という片付かない思いでいっぱいでした。

私は鎮まらない心を抱え、伊勢、熊野、大和や近江を旅しました。旅の友は『万葉集』と、小林秀雄の『無常といふ事』。『万葉集』をめくり、いにしえびとが生きてきた地を巡り歩くうちに、少しずつ心が癒やされていきました。

 

敗れしは彼の日にあらず。わがいのち生き終るまで敗れゆくなり

 

その後、國學院で教鞭をとっておられた折口信夫先生の短歌結社「鳥船社」に入社。歌三昧の生活が始まるとともに、先生の口述筆記を少しずつ始めるようになりました。そして22歳から折口家に住み込み、先生のお手伝いや身の回りのお世話をすることになったのです。

先生のところには以前、私にとっては兄弟子でもあり、國學院での先生でもあった春洋(はるみ)さんという方がおられました。春洋さんは先生の養子になられましたが、硫黄島で戦死された。それからしばらくして、「うちに来ないか」と声をかけていただいたのです。

兄弟子たちからは「あんな怖い先生のところに行ったら大変だぞ」と言われましたが、非常にのびやかに短歌を作ったり、旅行に連れていってくださったり――。先生が宮中にご進講に伺う際もお供させていただいていたので、どのようなアドバイスをなさっているか間近に聞くことができるわけです。

本当にありがたかったし、先生が亡くなるまでの足かけ7年、幸せな時間でした。あの時間があったからこそ、私はこの歳まで歌一筋に生きることができたのだと、感謝の思いでいっぱいです。