夏目漱石の名句に込められた深い心情と妻の生き方
そのようなことを考えながら生活している時、夏目漱石にかかわる仕事の依頼を受けた。漱石は大好きな作家だが、私は漱石の専門家でもなければ、そもそも国文学の専門家でさえもない。いったんはお断りしたが、熱心でとても優秀な編集者に押し切られて引き受けた。
そうして、蔵書をひっくり返し、夏目漱石の作品を読み直していた。パラパラとめくるうち、やはりあまりの文章の見事さ、思想の深さに、つい本文を読んでしまい、なかなか仕事が進まずにいた。
そうしているうちに、ふと目に飛び込んできたのが、あの有名な俳句だった。
菫(すみれ)ほどな小さき人に生まれたし
明治30年、漱石、30歳。俳句を盛んに作っていたころの作だという。鏡子と結婚したばかりで、まだ英国留学はしておらず、もちろん小説は一作も書いていない。第一作『吾輩は猫である』は明治38年の発表なので、それよりもかなり前のことだ。親友である正岡子規とやりとりしながら句作を行い、俳人として知られる存在だった。
「菫ほどな」と字あまりになっており、のちに子規の指摘によって「菫ほど小さき人に生まれたし」と訂正されたといわれる有名な句だ。
この句には、晩年の漱石が「われ」の葛藤の末にたどり着いた「則天去私」の境地を先取りしているといえるかもしれない。
虚勢を張り、肥大化した「私」にうんざりし、名もなき小さなものとして生きたいと願う気持ちを凝縮した言葉の中に描いている。頭の中に野の中の紫色の小さな菫の花が浮かんで、まさに名句だと思う。
以前から好きな句だが、改めて読んでいるうちに、「おや!」と思った。