初めての経験

当時、うどん玉が一個六円、乾麺が一袋二十五円でした。チキンラーメンは一食三十五円で発売されました。どの問屋さんも異口同音に「高い」と言いました。なかなか扱ってもらえなかったのです。

1958(昭和33)年の8月25日、大阪市中央卸売市場(大阪市福島区)で、チキンラーメンが初めて正規商品となり、店頭で売られました。扱い店は少しずつ増えていきました。

ある日、めったに鳴らない工場の電話が鳴りました。

「安藤さん、売れるがな。チキンラーメン、百ケースでも二百ケースでも持ってきて」

次から次と、問屋から注文が入ります。

「現金前払いでええから、できるだけぎょうさん回してくれ」

「なんならこっちからバタコでとりにいきましょか」

バタコとは、当時関西でよく売れていたダイハツの三輪トラック「ミゼット」のことです。

チキンラーメンを開発した池田市呉服町の自宅で(写真:『チキンラーメンの女房 実録 安藤仁子』より)

「チキンラーメンがほしい」というお客さんの声が小売店から問屋に届き、注文が殺到し始めたのです。

十三田川工場のボイラーに火が入るのは毎日午前三時。深夜十一時過ぎまで作業が続きました。それでも、一日六千食作るのがやっとです。出口には問屋の車が並んで、製品が出てくるのを待っています。目の回る忙しさに変わりました。

「門前市をなす、とはこういうことなのか」

百福も初めての経験に驚きました。