「日清食品株式会社」を創設
発売から約四か月たった12月20日、成功を確信した百福は「日々清らかに豊かな味を作りたい」という願いを込めて、「日清食品株式会社」を創設したのです。
同じ頃、建設中だった高さ三百三十三メートルの東京タワーは完成まであと三日でした。
転んでは立ち上がり、立ち上がってはまた転ぶ。文字通り「七転び八起き」の人生に一区切りがつきました。
百福、四十八歳。「ずいぶん遅い出発ですね」とよく言われました。
しかし、百福の答えはいつも同じでした。
「私が即席麺の発明にたどりつくには、やはり四十八年間の人生が必要だった」
日清食品を創業した百福は、チキンラーメンの開発を支えてくれた仁子を取締役に、須磨(仁子の母)を監査役に登用して、二人の永年の献身的な苦労に報いました。
長男の宏寿は専務になりました。定職についたことで落ち着き、中西妙子と結婚して身を固めました。芳徳、光信の二人の男児をもうけました。百福にとって初孫と二番目の孫です。二人は小さい頃から仁子によくなつき、仁子も二人ををたいそう可愛がりました。
百福はのちに、宏寿に社長の座を継がせましたが、二人の間に経営観の違いが生まれて、わずか二年で社長を退任しました。
宏寿は晩年、仁子への思いをこう語りました。
「仁子さんには感謝している。私にとても気を遣ってくれたことへの深い恩義を感じている」
※本稿は、『チキンラーメンの女房 実録 安藤仁子』(安藤百福発明記念館編、中央公論新社刊)の一部を再編集したものです。
『チキンラーメンの女房 実録 安藤仁子』(著:安藤百福発明記念館/中央公論新社)
NHK連続テレビ小説『まんぷく』のヒロイン・福子のモデルとなった、日清食品創業者・安藤百福の妻であり、現日清食品ホールディングスCEO・安藤宏基の母、安藤仁子とは、どういう人物だったのか?
幾度もどん底を経験しながら、夫とともに「敗者復活」し、明るく前向きに生きた彼女のその人生に、さまざまな悩みに向き合う人たちへの答えやヒントがある――寒空のなかの1杯のラーメンのように、元気が沸き、温かい気持ちになる1冊。