老舗・桜山ホテルで、憧れのアフタヌーンティーチームで働く涼音。
甘いお菓子を扱う職場の苦い現実にヘコみながらも、自分なりの「最高のアフタヌーンティー」企画を作り上げることができた。
そして、最初は対立していたシェフ・パティシエの達也との距離も変化していく。
――そこから3年、涼音に大きな変化がおとずれる……。
通常、アフタヌーンティーチームは七、八か月前にはシーズナルのテーマを決めるのだが、毎度毎度、香織が飛鳥井シェフ考案のメニューばかりを持ち出すので、朝子はいい加減、腹に据えかねているようだった。
本当にプランニングをするつもりあるのかと、朝子は不快感をあらわにした。
〝遠山さんだったら、いくつも新しいアイディアを出してくれるのに〟
最後に吐き捨てられた一言には、冷静を装っていた香織も顔色を変えた。
「まったくさぁ……」
ノートパソコンを閉じ、瑠璃は椅子にもたれる。
香織も朝子もそれぞれは良い先輩なのに、ああも露骨にいがみ合われると、後輩としては身の置き所がなかった。
〝そうだよね、瑠璃ちゃん〟〝林さんは、どう思いますか?〟
双方から、いきなり同意や意見を求められたりするので、涼音がプランナーを担当していたときのように、うっかりうたた寝をすることもできない。
ラウンジにきたばかりの涼音も達也とたびたび衝突していたが、あそこまで殺伐としてはいなかった。
もう一人のシェフの秀夫は「女は怖いねぇ」などと、これまた女性差別めいたことを言って、お気楽に笑っているし……。
こんなとき涼音がいてくれたら、と、瑠璃もつい考えてしまう。
涼音だったら、適度に両方の顔を立てながら、彼女自身が追求する「最高のアフタヌーンティー」作りに没頭するだろう。
でも、ああいう人は、一つのところに縛られたりしないんだよな。
香織は相当のショックを受けていたようだが、いずれ涼音が独立するであろうことを、瑠璃は薄々感じ取っていた。
だって、スズさんは本当にこの仕事が好きな人だもの――。
アフタヌーンティーを始めとするスイーツにかける涼音の情熱は、ラウンジで最も長く一緒に働いていた瑠璃が一番よく知っている。
〝私、別に飛鳥井シェフのあとを追うために、桜山ホテルを辞めるわけじゃないから〟
送別会のときに涼音が小声で打ち明けてきた本音は、瑠璃にとっても至極納得のいくものだった。
飛鳥井シェフのパートナーとなったことも大きいだろうが、どの道、涼音はいずれ自分自身のお店(パティスリー)を持つことを考えたに違いない。
涼音が自覚的だったかどうかは定かではないけれど、そういう理想があるからこそ、損得を抜きに、このラウンジでもあんなに懸命に働いていたのだろう。
情熱――それは一つの才能だ。
そして、そうした熱いものが自分に備わっていないこともまた、瑠璃はわきまえている。格式のあるホテルに新卒入社できたのは御の字だと思ってはいても、瑠璃自身、ラウンジの仕事にそれほどこだわりがあるわけではない。
カスハラジジイに指摘されるまでもなく、自分は〝なにも知らない若い娘〟だ。
ロンドンの高級ホテルはもちろん、生まれてこのかた、国外に出たことすらない。
子どもが生まれる前は、年に一度海外旅行へいっていたという香織とも、単身で南仏の飛鳥井シェフを訪ねていった涼音とも違う。
結局、自分は選択肢のない世代なのだと、瑠璃は思う。
金融危機、震災、水害、紛争、テロ……。物心ついた頃から、耳に入ったり、眼にしたりするのは、そんな事柄ばっかりだ。景気のいい話とは、とんと縁がない。
なにもかもを世代でくくるのはバカバカしいかもしれないけれど、周囲の環境に影響を受けない人間もまたいないだろう。
おまけに、この先はほとんどの職をAIに奪われるという。ラウンジの仕事だって、いつまで安泰かは分からなかった。
つくづく、明るい未来が見えない。
だから、私は賭けに出る。
スタッフの身だしなみチェックのために置いてある姿見に、瑠璃は自分の全身を映してみた。
透き通るような白い肌に、ぱっちりとした二重目蓋の大きな瞳。ふっくらとした桜色の唇。艶めく栗色の髪。フランス人形を思わせる完璧な容姿。
全ては詐欺化粧(マジックメイク)のなせる業だが、外見至上主義(ルッキズム)が幅を利かす世の中では、このみてくれは武器になる。
特に、婚活市場において、女性の若さと美貌は絶大なる得点(ポイント)だ。
たとえなにも知らなくても、私はまだ〝若い娘〟。そのポテンシャルを、最大限、利用しない手はない。
瑠璃は現在、高収入男性を対象にしたマッチングアプリで知り合った、九歳年上の総合商社勤めの相手と、結婚を前提とした交際に漕ぎ着けつつある。
今夜は四回目のデートだ。そろそろ、相手宅の訪問を示唆されそうな気配だった。
うまくやる。
鏡に向かって小首を傾げ、瑠璃は完璧に可愛らしくみえる笑みを浮かべた。
これが素顔でないことくらい百も承知だけれど、結婚さえしてしまえばこっちのものだ。
自分には、香織のような役職も、涼音のような情熱も、朝子のようなスキルもない。あるのは、割り切りの速さと、要領のよさだけだ。
同じ選択肢のない世代でも、陰キャのオタクが「異世界転生」とやらに全能(チート)を求めるなら、〝パリピで陽キャの瑠璃ちゃん〟は、ハイスペック男との結婚にベットする。
〝なにも知らない若い娘〟にとって、玉の輿は未だにキラーコンテンツなのだ。なし寄りのありでしかない現在の自分を変えるのに、これほどの近道(ショートカット)はない。
回り道にも意味はあるってことだよ――。
ふいに、かつて飛鳥井達也から言われた言葉が脳裏をよぎる。
確かにそうなのかもしれないが……。
でもね、飛鳥井シェフ。あなたは世界でも名の知られるタツヤ・アスカイだけれど、私は無名のパリピなの。
気がつけば、出産適齢期の二十八歳。そろそろ、〝若い娘〟でもいられなくなる。これ以上、ぼんやりしているわけにはいかない。
タワーマンションに住む人たちに見下ろされながら、「若者よ、みんなで貧しいながらも楽しく暮らしましょう」とか言われても、説得力なんて一つもない。
たった一度の人生。自分だって、タワマンに住む側になってみたいではないか。チートを手に入れたいなら、今しかない。
抜かりなく、やり通してみせる。
そして、なんだか殺伐としてきたこのラウンジを卒業するのだ。
あざとさ満点の笑みを改めて鏡でチェックしてから、瑠璃はふと素に戻り、大口をあけて賄いのサンドイッチにかじりついた。
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