さい果てへの旅で境地に至った

よく、価値観の相違というが、行商の旅に出る前から、この男と添い遂げられるだろうかという不安があったのだ。それがさい果てへの旅で頂点に達した。

ふと「死」という言葉が口をついて出る境地に至ったのではないか。

津村が当時を思い返して述懐する。

「そのときお腹に司がいたわけですから。ここで死んでしまおうと言っても、子供を抱えたまま死ぬことになる。私が死にましょうかと言ったら、吉村は黙って海を見ていました。彼は死ぬ気なんてなかったから」

吉村は一年ぐらい北海道を旅するつもりだったと、共に芥川賞、太宰治賞を受賞した後の夫婦対談(「旅」昭和54年7月号)で語っている。

「根室の先の花咲では、借りられるような店なんてないんです。だからみかん箱を並べて、戸板を置いて、そこにセーターを並べて売っていました。私がネッカチーフをかぶっていて、その上に雪が積もって真っ白になっていた。それを見て吉村は、俺はお前に一生借りができたなと言いました。苦労をかけて悪いなと思ったんでしょうね」

司が補足して言い添える。

「食事のときに行商の話をすると、親父はやめてくれと言いました。要するに、辛いんですよ。おふくろにそういうことをさせたというのが」