結婚後も小説を書き続けた津村

北へと流れ歩いた行商の旅でも、二人は同人雑誌評が載る「文學界」だけは買っていた。

反対に吉村の側に立ってみると、結婚して想定外だったのは津村が結婚後も小説を書き続けたことだろう。

津村の才能をもちろん認めてはいたが、結婚して家庭に入り、子供が生まれたら小説どころではないはずだ。典型的な世話女房型だと確信していたので、まめまめしく世話を焼いてくれる専業主婦になるだろうと予想していた。

「主婦でない妻」という題で、吉村は次のように記す。

〈結婚は私の方から申込んだが、妻は小説を書きつづけることに理解をもってくれるなら、という条件をつけた。私は、あっさりとその条件をうけいれた。なにを夢のようなことを言っている、家庭に入ればそんな気持は失せるはずだ、とたかをくくっていた。〉(「別冊文藝春秋」昭和51年9月号)

小説を書かせるという約束は、その予測の上に成り立っていたのだ。ところが津村は、子供が生まれても小説を書き続ける。

吉村が団体事務局に勤めていた当時のことだった。ある日の夕方帰宅してアパートのドアを開けると、おんぶ紐で赤ん坊の司を背負った津村が、茶箪笥の上に原稿用紙をひろげて、立ったまま万年筆を走らせていた。赤ん坊を寝かせると泣くので、仕方なく背負ったのだろう。

その姿を見て吉村は立ちすくんだ。

〈それを見たとき、「ああ、もうダメだ」と思った。そんなに一生懸命やってるのを、いくら亭主であろうと拒むことはできないじゃない。〉(「週刊文春」平成12年1月20日号)

この女は何があっても小説を書き続けると、そのとき観念したようだ。だから第二子の誕生と前後して、お手伝いを雇うことにしたのだろう。

机に向かう津村節子さん(写真提供:新潮社)