作家の吉村昭さん(写真提供:新潮社)
『星への旅』で太宰治賞を、『戦艦武蔵』や『関東大震災』で菊池寛賞を受賞した吉村昭と、『玩具』で芥川賞を受賞した津村節子。小説家夫婦である2人は、どのようにして結ばれて人生を共に歩んだのか、そして吉村を見送った後の津村の思いとは。今回は、吉村からの熱烈な求婚の末に結ばれた2人の新婚生活の様子を、長男の吉村司さんの言葉と一緒にご紹介します。

結婚後、吉村が無一文だと判明

結婚してからわかったことは他にもあった。

吉村が結婚のときに持って来たのは、弁当箱と小さなお釜とヤカンだけだった。吉村は前述の自伝的小説で、こう描写する。

〈「おれは無一文同然だ」
と、圭一は婚約中に春子に告げた。そして、春子も納得したようにみえたが、結婚後春子の告白によると、それが事実通りであることに唖然としたという。〉(『一家の主』ちくま文庫)

言葉の綾ではなく、実際無一文だったのだ。新婚のアパートに持ち込んだのは、〈お釜、薬罐、大型の弁当箱各1個と3000冊の書籍〉だと、吉村は随筆にも書いている。その書籍を売って引越し費用にあてていた。

正真正銘の無一文だとわかり、津村は驚いたと同時に不安にかられただろう。さらに無一文の上に、経済観念もゼロに等しいと指摘している。

〈結婚当初、池袋に住んでいたとき財布の中に110円しかないというのに、50円の地下劇場でやっているチャップリンのモダン・タイムスがまた見たいといい出し、帰えりに残金10円也で油揚を2枚買って夕食のおかずに焼いて食べた。空っぽの財布を振ってみせ、明日からどうするの、といったら、お前も一しょについて来たくせに文句をいうな、とすましていた。〉(「週刊サンケイ」昭和34年11月22日号)

こんなはずではなかったということがこれだけあれば、「結婚サギ」と書かれても仕方ないのかもしれない。

『吉村昭と津村節子――波瀾万丈おしどり夫婦』(著:谷口桂子/新潮社)