一生の中で一番勉強した
松平 離婚して最初のお正月に、お義母さんから1人用のおせち料理が届いたときには涙が出たわ。でも、今は彼の症状も落ち着いているらしくて、いい友人関係になってる。ちなみに1人目の彼ともいい友だち付き合いができてるの。
東 2度目の離婚のときに好きになった人が今のご主人?
松平 いやいや、別の人。お互いに強くて、似すぎていてぶつかるので、一緒にはなれなかった。好きなのでつらかったけど…。今の夫は5歳年上なんだけど、「君はどうして子どもを産まないの?」って聞いてきたの。産みなさい…。この言葉は私にとってはうれしかった。それで3回目の結婚に踏み切っちゃった。
長谷 いい話だね。私の場合は、パリに住んでいたレーシングチームのオーナーとの遠距離恋愛だったのが、娘ができたことで芸能界を引退して、パリに移住。そこからどっぷり専業主婦生活に入っていた。39歳のときのこと。
東 潔くパリに行っちゃうところが直美ちゃんらしいよね。
松平 男前な生き方ね。
長谷 慣れない町で、フランス語を覚えながら娘を育てていて、それなりに楽しかったんだけど、彼が糖尿病になったのよ。
東 それで離婚?
長谷 いやいや、糖尿病になったのに節制もしないし、一応家族のために生命保険に入っておいてと話したら、彼、きょとんとして「どうして僕が死んだあとにお金を残さなきゃいけないの?」と…。それを聞いて、さーっと私の中で何かが冷めた。それからはいつかは離婚すると思いながら暮らしてたの。
東 娘さんのためにがまんしたのね。
長谷 娘が高校生になったタイミングで離婚を切り出したんだけど、てる美ちゃんのところと同じでまったく本気にしてくれない。専業主婦の私は何もできないと思われていたのよね。しかも、日本から離婚届を取り寄せて「ここにお前の名前を書いておけ、俺が預かっておいてやる」と…。はぁ? 冗談じゃない。どうして私だけが離婚届けにサインして、あなたは書かずに預かるの? あなたもちゃんと書きなさいよ!と迫って、その日が離婚記念日よ。
東 お嬢さんを置いてきたのはつらかったよね。
長谷 娘はずっとパリで育っているから、パパといる、日本にはいきたくないと…。仕方なく親権は彼に渡したんだけど、私は、彼が今に死んじゃうと思っていたのね。それでいずれ娘は私のもとに来る。それまでに私がちゃんと生活できるようにしておかなくては、と、自分で何ができるか考え、やっぱり女優しかできないと思った。そこで日本に帰らず、ロンドンの演劇学校で芝居の勉強をし直すことにしたの。頭が熱でショートしそうになるくなるくらい勉強したわよ。一生の中で一番勉強したのがあの時期だと思う。本当によくがんばったな、私。
東 シェイクスピアなど古典劇を演じることができる国家資格のレベル8も取得して、堂々と女優に復帰したんだからたいしたもんよ。
松平 この年になると、いろいろあるけど、体に気を付けて元気でいないとね。
東 私は5年前に、肺腺がんが見つかった。仲良しの渡辺絵美ちゃんが出演した健康番組に「友達と焼肉を食べる」という絵作りで出演したの。その時に番組の方に「東さんもよかったら」と誘われ、「心臓」の回に出演、そこで見つけてもらったの。自覚症状もなかったしステージ1だったから内視鏡で手術したんだけど、リンパ節にも少し転移しているということで、抗がん剤治療を始めたのね。そしたら、体調が悪くて悪くて…。髪の毛が抜けるのはいいとして、味覚障害や耳鳴りがひどくて、途中でギブアップ。「死ぬかもしれないけどこのままだと副作用でおかしくなるからやめていい?」と娘にも話して、2クールでやめちゃった。その後、1年に1度検診に行ってるけど、今のところ元気よ。