アルバイトからいつの間にか
東 当時のストリップ劇場に出ていた人たちって、テレビに出るとか映画に出るなんてまったく考えてもいない別世界だったのよ。だから私も何も考えていなかった。でも、あるとき、機会をいただいて金ドラに1クール出演したの。TBSのプロデューサーだった鴨下信一さんが私を見つけてくれて、石井ふく子さんにもつながり、東芝日曜劇場にも出られるようになったのは、今にして思えば本当に幸せなことだったわ。あのまま終わっていても仕方なかったし…。
松平 プロの女優になったわけね!
東 いやあ、どこまでアルバイトでどこから本業になったのか、実は今でもわからないぐらい。鴨下信一さんって、あとから怖い方だって知ったけれど、私ってそのころ反抗ばかりしてた…。プロ意識は完全に欠落していたの。
長谷 アルバイトからいつの間にか芸能界に入っていた、っていう感覚、私もわかるわ。
東 連続ドラマに出ていて、前回の続きのシーンの収録なのに、マニキュアの色を変えたり、髪型を変えちゃったりして…。「私はこの色が好きなんです!」「この髪型の気分なんです!」なんて堂々と言ってたのよ。
長谷 それはひどい!私も女優の自覚はなくて、自由な野生児と思われていたけれど、そこまでじゃなかったな。(笑)
東 直子ちゃんは、私たちみたいな遊び感覚じゃなくて、最初から歌手を目指してたのよね。
松平 私は短大に通いながら、卒業後はCAになりたいと思っていたの。でも一方で歌が、特に洋楽が好きで、歌う場所があれば歌いたいとは思っていて、ライブハウスにちょこちょこ出たりして…。
東 私たちの時代って、音楽的に本当に恵まれたいい時代だったわよね。洋楽が一斉に入ってきて、小学生の時はグループサウンズ全盛だもん!
長谷 アイドルもどんどん出てきたし、高度経済成長の中で音楽はどんどん生活に入り込んできた時代よね。
松平 そうそう。一番幸せな時代だったわよね。そんな中で、私はいきなりぽんと21歳で、ペドロ&カプリシャスに入っちゃったから、ラッキーだった。
長谷 でも、プレッシャーもあったでしょう?
松平 もちろん! だって先輩の前野曜子さんや高橋真梨子さんがすごすぎて、比べられるのはつらかった。それに、ペドロ&カプリシャスって本当に超人気のグループだったから、そこのボーカルってみんなのあこがれのポジションだった。ライブハウスやディスコで歌っているボーカリストたちみんなが狙ってたと思う。
東 その座を直ちゃんが射止めたわけね。
松平 それがね。短大1年のときに、はかま満緒さんのプロダクションに所属していたんだけど、ある日ライブに出演したときに、たまたまエキストラで入っていたロックバンドのリーダーと、ペドロ&カプリシャスのリーダーのペドロ梅村さんが親友で、私の歌を聴いてくれて、その後、高橋真梨子さんがソロになるタイミングでペドロさんから声をかけてもらったの。だから、あまり「売れっ子の歌手になりたい!」という強い願望もないまま楽しく歌っているうちに、ペドロ&カプリシャスのボーカルとしてのオファーが舞い込んできた感じだった。