私が受けたDVは『耐えられる』DVか

近年、ニュースでたびたび目にする離婚後の「共同親権」について、共同親権推進派の柴山昌彦衆議院議員が以下の発言をしたことは記憶に新しい。

「公正中立な観点から、DVの有無とか、それが『本当に耐えられるものか耐えられないものであるかということを判断する』仕組みの一刻も早い確立が必要だと思っているんです」

この発言を聞いた時、「私が元夫から受けたDVは『耐えられるDV』と『耐えられないDV』どちらと判断されるのだろう」と思った。そもそも『耐えられる』DVとは、果たしてなんだろう。殴る蹴るなど、外傷が残る被害は『耐えられないもの』に分類されやすい。では、言葉や態度で切り刻まれた心の痛みは、表に見えない苦痛の程度は、誰がどのような基準で判断するのだろうか。

精神科の主治医は、元夫の暴言を「DVです」と断言した。だが、元夫をはじめとして、彼の親族や私の両親はそれを真っ向から否定した。私に「耐えるべきだ」と詰め寄り、耐えられない私の辛抱が足りないのだと非難した。被害者の声は、往々にして矮小化される。本当の被害を「被害妄想」という箱に封じ込める加害者の詭弁を見抜ける“仕組み”でなければ、共同親権の施行は多くのDV被害者を奈落の底に突き落としかねない。

2024年1月29日、離婚後の共同親権導入に向けた民法改正の要綱案がまとめられた。法務省では、本年度の国会に民法改正案を提出し、共同親権成立を目指す方針で議論が進められている。

法改正前に離婚した事例であっても、相手方からの申し立てがあれば共同親権が導入されるという。これにより、元配偶者からの虐待やDVを理由に離婚した被害者たちが再度危険に晒される懸念が叫ばれている。発言力のある人がどれだけ被害者の声に耳を傾けられるかどうかで、被害者親子の安全確保は大きく左右されるだろう。