長男の泣き声に耐えきれず叫んだ

元夫との性行為を終えたあとに「用済み」と言われた夜、私は一睡もできずに朝を迎えた。自分が言われた台詞を脳内で反芻しては、「許せない」と「大したことじゃない」が行ったり来たりする。その繰り返しは、私の精神を思いのほか蝕んだ。憤りを伝えても、どうせまた「それで怒るお前がおかしい」と言われる。謝ってほしくて気持ちを伝えても、想像の斜め上の答えを突き返される。だったら何も言わないほうがいい。

別れるつもりがないのなら、事を荒立てずに黙って笑っていればいい。そう結論付けた私は弱い人間だったと今は思う。誰かに必要とされる自分でありたくて、そのためには我慢が一番の近道だと思っていた。しかし、現実と理想が乖離していくにつれ、心が無理やり引き伸ばされていくようだった。無理は長くは続かない。それに気づいた時には、すでにいろんなことが手遅れだった。

長男の泣き声を聞くたびにイライラするようになり、すべての家事と育児が億劫になり、食事をとることさえ面倒に感じた。そのうち、元夫への苛立ちがなぜか長男に向かいはじめた。自分の中に潜む残酷さを目の当たりにするたび、恐ろしくて震えた。

母のようにはならない。私はあの女とは違う。虐待を連鎖なんてさせない。私はちゃんとこの子を育て上げてみせる。何度もそう言い聞かせ、イライラを抑え込んで長男に笑いかけた。しかし、彼はいつだって1時間おきに泣き、短いと30分で愚図りはじめる。抱いても、授乳しても、おむつを替えても、着替えても、何をしても気に入らずに泣き続ける日もままあった。長男は、いわゆる「疳の虫が強い」子どもだった。

「うるさい……!!」

ある日、堪えきれずに叫んだ。長男は一瞬だけ泣きやんだものの、直後に火がついたように泣き出した。赤ん坊は泣くのが仕事で、母親はそれを見守るのが仕事で、私は母親なんだからいつだって笑顔で優しくあらねばならないはずで、でも、何もかもが上手くできない。絶望するのと同時に、自分は結局、あれほど忌み嫌ってきた母親と同じなのだと思った。

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