歴史が古い学校の記号

話が逆になってしまったが、学校の記号は歴史が古い。手元の『地図記号のうつりかわり』によれば、関東で明治13年(1880)から整備が始まった最初の地形図である「迅速測図」にはなく、関西方面で同17年から作成された「仮製地形図」で初めて用いられている。

ただし現在の「文」マークとはまったく異なる「巻物形」。当時の学校風景はよく知らないが、教科書ではなく巻物で四書五経などを読ませていたのだろうか。

お馴染みの「文」マークが登場するのは「明治24年図式」で、市役所など現在に続くいくつかの記号とともにデビューした。文の字には「学問」という意味があるので、学校を1文字で表すとすれば最もふさわしい。

学制は同5年に発布され、その後全国に小学校(尋常小学校)が整えられていく。もっとも教育予算は潤沢ではなく、最初から校舎を建てられずに寺の一角などを利用したものが多かった。

『地図記号のひみつ』(著:今尾恵介/中央公論新社)

当初は4年制だった尋常小学校の修業年限は明治40年には6年に延び、2年および4年と幅があった高等小学校の修業年限も2年間に決まった。明治の頃は尋常小学校を卒業しても中学校(男子のみ)や高等女学校へ進む人はほんの一握りで、商業学校や工業学校、農学校などの実業学校への進学者も少なかった。

これらの上級学校へ進む子供は、ずっと時代が下った昭和11年になっても2割程度であり、全体の約3分の2は高等小学校(現在では中学1・2年生に相当)へ進学、その後は果敢にも社会へ出て行ったのである。

余談ながら田中角栄元首相が「小学校しか出ていない」と話題になったが、高等小学校卒なので誤解していた人も多いだろう。

ついでながらエリートコースの中学校(5年制)は狭き門で、入試に落ちた子が高等小学校へ通いながら再チャレンジするケースも珍しくなかったという。戦前の学制はヨーロッパに範をとった「複線型」で、複雑ではあったが、なかなか良いシステムだったのではないだろうか。