桑畑

桑茶政策のもう一方、桑の方は日本の輸出品目で茶をはるかにしのぐ巨額を稼ぐ生糸の生産に欠かせない養蚕の必需作物である。こちらも明治以降に栽培面積は急増、水はけの良い扇状地や台地上、それに河川敷などに所狭しと植えられた。

桑畑も茶畑と同じく仮製2万分1地形図から、その後長らく用いられるYの足元に横棒を加えた記号が登場した。しかし養蚕はやがて衰退、桑畑の面積の激減もあって「平成25年2万5千分1地形図図式(表示基準)」で廃止されている。約130年にわたって使われてきたので名残惜しいが、これは仕方がないだろう。

明治初期の日本の輸出総額の約6割は生糸、約2割を茶が占めていたというから、これらの稼ぎ頭を支える耕地の記号化は自然な流れだが、いずれも独特な景観が特徴的で目印に適しているからこそ、陸軍が作成する地形図の記号にあえて加えられた可能性もあるだろう。

重要産品に用いられる特定の記号といえば、ドイツの地形図に見られるホップ畑を思い出す。ビールの製造には欠かせない作物で、地図記号は×の記号を規則的に並べたものだ。当地では特定作物の記号はもうひとつ「ブドウ畑」しかないが、ビールとワインの重要性ゆえであろう。イタリアの地形図ではブドウ畑はもちろん、オリーブ畑や柑橘類の畑、アーモンド畑の記号も揃っている。

『地図記号のひみつ』(著:今尾恵介/中央公論新社)

日本でブドウ畑は果樹園の記号で表示されるが、この記号は「リンゴ形」をしているので、たとえば青森県の津軽平野を走る五能線にはよく似合う。地形図を見ると平野のまん中に位置する起点の川部(かわべ)駅から板柳(いたやなぎ)駅まで約8キロの区間は周囲に果樹園記号がたくさん並んでいる。この果樹園記号は歴史が古く、仮製2万分1地形図で登場した。

誰が考えたのか知らないが、欧米の地形図の「果樹園(orchard)」では○を整然と並べた形が主流でリンゴ形は見かけない。いずれにせよ誰が見ても果樹園を連想できる点で優れた記号であろう。

国土地理院の地形図に現在用いられている「平成25年2万5千分1地形図図式(表示基準)」によれば、果樹園記号は「りんご、みかん、梨、桃、栗、ぶどう等の果樹を栽培している土地に適用する」と決められている。

あくまで「果樹」を栽培する土地であるから、パイナップルなどには適用されない。作物が果物であるかどうかではなく「果樹であるか」が判断基準なので、パイナップルやスイカ、メロン、イチゴなどは畑またはビニールハウスの記号である。ウメは迷うかもしれないが、これは果樹園の記号だ。

日本の代表的な梅干しの産地である和歌山県みなべ町の丘陵地を地形図で見れば、果樹園の記号が里山に広がっている。