廃止された記号

ついでながら、桑畑と同じタイミングでなくなった記号が○印で示す「その他の樹木畑」である。桑畑に比べて知名度の低い記号ではあったが、大事な役割を担っていた。具体的にどんな場所に適用されるかといえば、「平成14年2万5千分1地形図図式」によれば、「桐、はぜ、こうぞ、庭木等を栽培している土地及び苗木畑」であった。この中で最も多かったのは庭木や苗木の畑だろうか。

<『地図記号のひみつ』より>

たとえば庭木の一大産地である福岡県久留米市の耳納(みのう)山地の北麓にはこの記号が目立った。このあたりを久大(きゅうだい)本線の列車で通ると、さまざまな種類の枝振りの良い植木群が印象的だが、ここに○印が並んでいたものである。今では残念ながら畑の記号に統合されてしまった。

もうひとつは戦前の「大正6年図式」まで存在した「三椏(みつまた)畑」である。和紙の原料となるミツマタで、記号も三つ叉のマキビシのような記号だった。等高線がどこまでも密集した土佐の山奥の戦前の地形図をよく見れば発見できる。

英語ではミツマタをpaperbush とも呼ぶそうで、これを原料とした高知県産の和紙は戦後の一時期まで、極薄で丈夫なタイプライター用紙として米国などへ多く輸出されて評判が良かったというが、世の中が変わって記号もひっそり廃止された。

一国の農業や輸出入品目と地図記号には、実は深い関係がある。

 

※本稿は、『地図記号のひみつ』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。


地図記号のひみつ』(著:今尾恵介/中央公論新社)

学校で習って、誰もが親しんでいる地図記号。地図記号からは、明治から令和に至る日本社会の変貌が読み取れるのだ。中学生の頃から地形図に親しんできた地図研究家が、地図記号の奥深い世界を紹介する。