ブドウ畑

ヨーロッパで興味深いのは、多くの国の地形図で果樹園とは別にブドウ畑が定められていることだ。前述のように日本ではブドウ畑は果樹園に含まれるが、「明治33年図式」までは「葡萄畑」の記号があった。

形は地面に差した支柱にブドウの蔓が巻きついた図案で、これはフランスやイタリア、スペインなどラテン系の国の地形図に多く見られるデザインなので、当時の日本もそれを借用したのだろう。

私がこの記号を日本の地図で最初に見たのは、東京の渋谷付近が描かれた2万分1迅速測図「内藤新宿」(明治24年修正)であった。前述の松濤の茶畑から渋谷川をはさんで東側の台地上であるが、現在の青山学院の位置に記された前身の「英和学校」の庭に描かれた5つの「葡萄畑」の記号である。

<『地図記号のひみつ』より>

日本に最初に葡萄酒をもたらしたのは宣教師で、織田信長あたりが最初に飲んだ話も聞くが、キリスト教の布教活動とワイン醸造は切り離せない。この学校でもあるいは醸造所が併設されていたのだろうか。

明治に入ってからは山梨県の勝沼(かつぬま)(現甲州市)などで生食(せいしょく)用に加えてワイン用のブドウ栽培が広がるが、全国的に見れば少なく、わざわざ特定の記号を与えるほどではないと判断されたのか、「明治42年図式」で早々と果樹園に統合されてしまった。

勝沼付近は現在よりブドウの栽培面積ははるかに少なかったとはいえ、「葡萄畑」の記号が描かれた版(5万分1「甲府市」)で数えたところ、29個もの記号が付近に点在している。

国内の図で表示されたこの記号の数としてはこれが最高だったのではないだろうか。