二重、三重の喜び

渡米前、3月17日から19日にかけて、大阪・朝日会館で「アメリカ博覧会記念公演」が開催された。

ここで服部は念願のシンフォニック・ジャズ「アメリカ人の日本見物」を作曲・指揮をした。

NHKラジオ「世界の音楽」で書いたモチーフをシンフォニック・ジャズに発展させたものである。

服部は、戦前、紙恭輔が指揮したジョージ・ガーシュインのシンフォニック・ジャズ「ラプソディ・イン・ブルー」に憧れ、いつかはオリジナルを作曲して演奏したいと願っていたので、この日、オリジナル曲と同時に「ラプソディ・イン・ブルー」を指揮できたことは、二重、三重の喜びがあったと自伝に書いている。

シヅ子と服部の渡米直前、美空ひばりと川田晴久がホノルルで公演を行っている。

かつての敵国であるアメリカで日本のエンタティナーが、ステージに立ち、ハリウッド・スターと交流する姿が、新聞雑誌に掲載されることで「日米文化交流」を印象付けた(写真提供:Photo AC)

第一〇〇歩兵大隊の記念塔建設基金チャリティ公演である。

しかも、サンフランシスコ、ロサンゼルスでも、シヅ子よりも先に公演予定だった。

直前になって、ひばりの渡米を知った服部は、ひばり側に「服部作品を歌わないように」との通知を、日本音楽著作権協会を通じて出した。笠置たちも同じ会場の公演である。

先にひばりに笠置の曲を唄われたら、観客が戸惑うとの判断である。これは当然のことである。

またもやその話に尾鰭がついて、シヅ子とひばりの確執がマスコミを賑わせたが、翌年2月10日、NHKラジオ「歌の明星」で、二人が共演することで和解が報じられた。