老舗・桜山ホテルで、憧れのアフタヌーンティーチームで働く涼音。
甘いお菓子を扱う職場の苦い現実にヘコみながらも、自分なりの「最高のアフタヌーンティー」企画を作り上げることができた。
そして、最初は対立していたシェフ・パティシエの達也との距離も変化していく。

――そこから3年、涼音に大きな変化がおとずれる……。

 その晩、瑠璃がお相手の清瀬敬一(きよせけいいち)に連れてこられたのは、大手町にあるイタリアンレストランだった。
 皇居のお堀に面したガーデンにはテラスがあり、ライトアップされたオリーブの樹の下のテーブル席に瑠璃は惹かれたが、
「あんなところ、蚊がいるよ」
 という敬一の一言で、店の奥のソファー席に座ることになった。
 アンチョビと黒オリーブ、牛肉のタリアータ、ミラノサラミ、牛の胃袋を煮込んだトリッパ。
 テーブルの上に並んでいるのは、すべて敬一がオーダーしたメニューだ。
〝私、こんな高級なお店のメニュー、よく分からないので、敬一さんのお勧めでお願いしますぅ〟
 最初に連れていかれたフレンチレストランで瑠璃が愛嬌たっぷりにそう言ってから、敬一は当然のように、すべてのメニューを一人で決めるようになった。大抵は、アルコールに合う味の濃い前菜と肉料理ばかりだ。
 正直、ただのリップサービスのつもりだったんだけどな……。
 瑠璃は自分の皿に取った黒オリーブをフォークでつつく。
 いくら庶民出の〝なにも知らない若い娘〟とはいえ、瑠璃は曲がりなりにも格式ある一流ホテルのラウンジスタッフだ。メニューに限れば、フランス語でもイタリア語でも、おおよその見当はつく。
 本当は、グリーンアスパラガスと甘えびのタルタルや、桃と紅芯大根のサラダや、季節野菜のバーニャカウダとかも食べてみたかった。
 ちらりと眼に入ったメニューを、瑠璃は思い浮かべる。だが、デートを重ねて分かってきたのだが、どうやら敬一は野菜全般が苦手なようだ。魚もあまり得意ではないらしい。
 考えてみれば、瑠璃自身は、敬一から好き嫌いを尋ねられたこともない。
 まあ、いっか。
 黒オリーブを口に運びながら、瑠璃はあっさりと割り切る。
 どうせ、勘定はすべて敬一持ちなのだし。
 敬一がセレクトした赤ワインを一口飲み、瑠璃は上目遣いに敬一を眺めた。
 身長はそれほど高くない。マッチングアプリのプロフィールに書かれていた百七十三センチというのは、絶対嘘だ。恐らく、百七十センチに届いていない。
 もっとも、瑠璃とて「趣味はお菓子作り」と大嘘を記載しているのだから、その辺はお互い様だ。
 ミラノサラミをつまみ、更に観察を続ける。
 三十七歳という年齢にしては、いささか童顔だ。見ようによってはイケメンと言えなくもないが、ちょっと揉み上げが濃すぎる気がする。お洒落に整えた顎髭も、残念ながらたいして似合っていない。
 だけど、見るからに仕立てのよいサックスブルーのシャツは清潔感があり、ワイングラスを持つ左手の手首には、BVLGARI(ブルガリ)とロゴの入った高級腕時計が巻かれている。
 メディアでたびたび話題に上がるハイスペ男の特徴には、かつては3Kと呼ばれていた高学歴、高収入、高身長に加え、コミュニケーション能力の高さ、マナーのよさ、育ちのよさ、ついでに家事能力の高さまでがあげられる。
 とはいえ、そんなユニコーンのような男は、現実世界にはそうそう存在しない。
 そして、流行の漫画やドラマに登場するユニコーン男子は、大抵、同性愛者として描かれる。
 所謂、ボーイズラブ(BL)と呼ばれるジャンルが、お茶の間でも市民権を得つつあることは理解しているが、瑠璃自身はどうしても受け付けない。
 同性愛が問題なのではない。絶対に自分が傷つかずに済む領域から、理想の男同士の恋愛模様を眺めて妄想に浸る女性たちのマインドが、やっぱりどこか臆病で陰湿に感じられてしまうのだ。
 そんなところで絵空事に心酔していないで現実を見ろよ、と言いたくなる。
 厳しい現実と対峙すれば、この辺で手を打っておくのが妥当だと気づくだろう。
男性は収入面、女性は容貌面で、比較的厳しい審査がある会員制アプリとはいえ、マッチングアプリで結婚相手を探している三十代後半という時点で、多少の難があるのは覚悟の上だ。 
 一通りの注文を終えると、敬一はむっつりと黙って、アンチョビやトリッパを肴にワインを飲み続けていた。四回目のデートともなると、月並みな質問は互いに終えてしまっているので、話題が見つからないのかもしれない。
「最近、お仕事はいかがですかぁ」
 瑠璃は気を遣って、尋ねてみた。
「うん……。まあ、普通に忙しい」
「ここのお料理、美味しいですねぇ」
「まあ、普通にうまいかな?」
「よくこられるんですかぁ」
「普通にときどきね」
「ワインリストも多いですよねぇ」
「うん、普通にそろってるね」
 なにを聞いても「普通」かよ。
 瑠璃は内心鼻白む。
 だがこういうとき、ひょっとすると敬一は、意外に女慣れしていないのではないかとも考えた。或いは苦労知らずのボンボンがそのまま歳をとると、こういう中年になるのだろうか。
 瑠璃を見るなり、すぐさまホテルにいきたがった成金男たちに比べれば、まだましなのかもしれないが。
 肝心なのは、敬一が大手総合商社に勤める、年収一千万越えの男だということだ。加えて敬一は、シンガポール駐在を控え、結婚相手を探しているという逸材でもあった。
 大手総合商社には、既婚者のほうが駐在の条件がよくなるという暗黙の了解があるらしい。 
 つまり、この男と結婚すれば、運転手や家事使用人つきの、夢の〝駐妻生活〟が約束されるということなのだ。
 話がつまらないことくらい、別にどうということもない。
 敬一のグラスが空になるや、瑠璃はすかさずクーラーからボトルを取り出してワインを注いだ。

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