監督の仕事の姿勢
監督の仕事の姿勢もそうだ。
とにかく相手への要求がものすごい高い。
それだって嫌だったら断ればいいのだ。
でも、やってみたい。監督が求めているものを作ってみたい。
そう思ってみんな頑張っていく。
そもそもその「相手への要求が高い」というのは
相手の才能に対して制限をかけないということでこれが普通はできないことだ。
そしてそれに嬉々として答えていくエヴァの監督勢やスタッフの面々は
すごい人たちばかりだな、と改めて思う。
私は一度監督の映画「キューティーハニー」で
怪人のキャラクターデザインを任されたことがあった。
渡されたラフデザインは私から見るとこれで充分なのでは…と思うレベルの出来だ。
それでもなんとか自分なりに要素を足したものを描いて出すと違うと言われる。
なのでやり直す。
提出してもまた違う、と言われる。
それを繰り返していくのだが、その作業はまるで
モデルがないのに粘土の塊から何かを掘りだせ、と言われて
呆然としながら削り出していくようなやり方で
写真やモデルの人間を見せられてここをもっと長くして、みたいなことと
根本的に違う。
お前の中にある最高のものを出してこいよ!
こんなもんじゃないだろ!
と言われ続けるのである。
私は自分の仕事ではアシスタントさんへの指定で明確にイメージを伝え
思ったように仕上がらなかった時はこちらのイメージがもう一つ明確でなかったか
伝え方に問題があったか考えて改善していくやり方なので
ものすごいストレスを感じた。
そもそもキャラクターデザインはイラストレーターさんや
キャラデを専門職にやっている人がいるくらい特殊の技能が必要な職種だ。
私は漫画家だししかもファンタジックな世界観のものは描いていないので
鎧兜(よろいかぶと)のようなコスチュームのデザインは全くできない。
現代のリアルクローズなら得意だけど戦闘服とかそういうセンスは持っていない。
最終的には筆箱を投げつけるくらいブチ切れたので
監督とは二度と仕事をしたくない、と思った。
私のやり方は漫画だからというのもあるけどアシスタントさん個人の資質に
頼るやり方ではなくて、素材を渡すやり方。
これは監督の言葉を借りると「自分の中にあるもの」だけでやりくりするやり方だ。
現代が舞台で少人数で仕上げる漫画だからそれで成り立つけれど
壮大な架空の世界となると何人もの頭の中の広大な図書館を繋げて
膨大な情報の中から最適なイメージのかけらを見つけて全員で拡大していくという作業が必要なんだな、
と「プロフェッショナル」を観終わって思った。