十八世中村勘三郎さんが亡くなってから今年で12年。息子の中村勘九郎さん、七之助さんは、十三回忌追善興行の真っ最中です。ともに舞台に立つ子どもたちの成長を眺めながら、2人の胸に去来する思いとは――(構成=篠藤ゆり 撮影=岡本隆史)
皆さんに支えられ全国巡業20年
勘九郎 息子たちに稽古をつけていると、僕らが昔、父から指摘されたことが甦るんだ。気になるなぁと思って注意するのは、たいてい僕たちも言われていたことだし。
七之助 父は礼儀にも厳しかった。たとえば今、長三郎がやっている『連獅子』の時は、小道具の受け渡しとか、お客様には見えないところでの礼儀も厳しく言われた。そういうことは、後々本当に役に立つ。芸だけではなく、そういう精神も、代々受け継がれていくんだろうね。
勘九郎 父は伝統をすごく大切にしつつ、コクーン歌舞伎や平成中村座など、新しいチャレンジもたくさんしてきた。新作に取り組む際のセンスもよかったよね。
七之助 たとえば1996年には、コクーン歌舞伎第2弾として笹野高史さんに出ていただいた。当時、歌舞伎役者以外が歌舞伎に出演することに対して風当たりが強かったし、劇評でも酷評されたみたいだけど、今はそんなことを書く評論家はいない。野田秀樹さんとの出会いから生まれた新作『野田版 研辰(とぎたつ)の討たれ』も高く評価されたし、企画力や思いを実現させる力が本当にすごい。
勘九郎 「人」を大事にし、本当に真面目に人とつきあっていたからこそ、新しい扉が開けていったんだと思います。
七之助 僕らは、そういう父の背中を見て育ってきました。「人」が大事だという精神も、受け継いでいるつもりです。