〈カラオケdondon〉の奥まった一室。そこは通称〈バイト・クラブ〉のための部室。ここの部員になるための資格は、【高校生の身の上で「暮らし」のためにバイトをしていること】。〈花の店 マーガレット〉で働く由希美は、酒場の生け込みを手伝いにいくことになるのだが……。

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田村由希美(たむらゆきみ) 私立榛(はしばみ)学園一年生
〈花の店 マーガレット〉アルバイト店員

 
〈花の店 マーガレット〉の店長、というか社長は野呂希美(のろのぞみ)さん。実家のお花屋さんを継いだからそうなるんだそうです。
 希美さんだから、私の名前の〈由希美〉と下二文字が同じ。
 面接のときに同じだね、って言われて。その上私のお父さんが前に希美さんと同じ会社にいたってこともわかって、凄い偶然だねって喜んでくれて。お父さんとは同じ部署にいて、とても仲が良かったんだそうです。それでもう即採用されたみたいなものだったんですけれど。
 花屋さんの仕事に慣れてくればくるほど、希美さんはすごい人だなっていうのがわかってきました。
 お父さんも話していたけれど、とてもバイタリティに溢(あふ)れていて、有能な仕事ができる女性だったんだって。お父さんと希美さんが一緒に働いていたのは二年ぐらいだったそうですけど、お父さんは同僚としてとても信頼していたって。
 希美さんも同じことを言っていました。
 冗談にしちゃうけど、お父さんに彼女がいたことは聞いていたからあれだけど、もしもいなかったら立候補しちゃうぐらいだったって希美さんは笑っていました。それぐらい、お互いに気が合って信頼し合っていたんでしょう。
 日曜日は、一日中バイトができます。
 普通の高校生だったら部活があったり、そして彼氏がいるんだからデートしたりするのでしょうけれど、三四郎(さんしろう)も日曜日は一日中バイトをしているからデートはできないんです。
 せっかくバイトをするんだから、花屋さんの全部の仕事をきちんと覚えたいって言ったら、本当はバイトの子は連れて行かないんだけど特別にって、希美さんは朝から花卉市場(かきしじょう)に連れて行ってくれました。
 お花を仕入れるところ。
 市場ってものすごく朝早く行くようなイメージがあったんですけど、ここの花卉市場はそうでもなくて、朝の八時過ぎに行って、お店に帰ってくるのは十時ぐらい。意外と普通の時間で、なるほどいろいろあるんだなって。
 そうやって仕入れてきたお花をお店に並べるときにも、いろいろあって、いちばん驚いたのはバラ。
 開き過ぎている花があったら、一番外側の花びらをそっと取っちゃうんです。
 これもなるほど、って思いました。開き過ぎているバラって確かに見栄えもそんなに良くないでしょうし、買う人も「これはすぐに散ってしまう」って思うかもしれません。
 あと、バラの茎にあるトゲは、ほとんどを手で取ってからお店に出すっていうのも初めて知りました。
 バラの花なんか買ったことなかったけれども、確かにトゲがそのままだったら包むときも持って帰るときも指に刺さってしょうがないなって。
 世の中のお仕事は、いろんなものがある。
 やってみなければ本当にわからない。
 そういう作業をしながら、お店で働いている人たちといろいろお話ししたりしているんですけど、楽しいです。お客さんがいないときには、ずーっとお店の人たちといろんな作業をしているから、作業しながらお喋りできるお仕事なんてなかなかないと思います。
 社長の希美さん以外に社員の真子(まこ)さんと、私と同じアルバイトだけれどベテランの愛子(あいこ)さんに、優美(ゆみ)さん。皆、女性ばかり。
 もちろん男性が花屋さんで働いてはいけないってことは全然ないんだけれど、やっぱりお花屋さんの店頭には、女性が多くなってしまうのかなって。
 希美さんは、独身。一度結婚したけれども、離婚したんです。
 子供はできなかったそうです。ただ、せっかく継いだこの〈花の店 マーガレット〉を自分が引退したら継いでくれる人がいないから、そこはどうしようか悩んでいるんだって話もしていました。
 今、一緒に働いてくれている社員の真子さんと、ベテランバイトの愛子さんと優美さん、その中の誰かに譲ろう、なんて話もしてるらしいんですけど。
「でも、皆そんなに年齢が変わらないのよね」
「そうそう」
 希美さんは四十二歳。お父さんと同い年。そして真子さんは四十歳で、愛子さんと優美さんは三十六歳。
「希美さんが引退するような年齢になったときには、私だってもう定年よ。もうそりゃあ受け継ぐのは無理ってもので」
 真子さんが言って愛子さんも優美さんも頷(うなず)いた。
「私も優美ちゃんも主婦のバイトだからね」
 三人とも、結婚しています。真子さんは子供がいないけれども、愛子さんと優美さんは、まだ子供が中学生なんだって。ここのアルバイトとしてすごく長く働いてはいるけれども、とてもお店を継ぐなんてことはできないし、やっぱり年齢的にもちょっとって。
 確かに、そうなのかもしれない。
「由希美ちゃんぐらい若かったらいいわよね。あと二十年経っても三十六でしょ?」
 真子さんが言う。
「そう、ですね」
 私はまだ十六だから、もしも二十年経って希美さんが引退するって言ったとして、私は三十六歳になっている。今の愛子さんと優美さんと同い年になるんだ。
 その頃、私は何をしている人になっているんだろう。
 結婚とかしているんだろうか。お父さんお母さんはまだ元気な年だよね。
 ひょっとしたらこのまま三四郎とずっと一緒にいて、夫婦になってどこかで暮らしているのかな。
 三四郎はどんな仕事をする大人になっているのか。小学校の卒業文集に三四郎は〈将来はカメラマンになります〉って書いていました。
 後から聞いたけど、野球は好きだったけれどプロになるなんて考えていなかったし、他に何も思いつかなかったので、ちょうどカメラを貰ったときだったので適当にそう書いてしまったんですって。確かに一眼レフカメラを持ってはいるけれど、今では全然使っていません。
 私は、ケーキ屋さんになる、なんて書いてしまいました。確かにケーキは大好きだったけれど、そのときには何も思いつかなかったから。
「由希美ちゃん、真面目な話で、高校卒業するときにもここでバイトしていたら考えてみてね」
「え、何を考えるんですか」
 もちろん、って希美さんが微笑(ほほえ)んだ。
「うちの店への就職よ。バイトからそのまま正社員で。由希美ちゃんすっごくいい子で、お花屋さんの仕事も向いてると思うから」
「そうです、か?」
「向いてるわよね。客商売。接客も何も教えていないのに、すごくいい」
 優美さんが言って、愛子さんも頷いている。
「仕事覚えるのも早いし手先も器用だしね。私なんかこれ巻くのすっごく苦労したけど、由希美ちゃん一回やっただけでもう完璧だったわよね」
 細いワイヤーに緑色のテープを巻く作業のことです。造花テープと言っていました。お花のアレンジメントをするときに、形を整えるのにこういうワイヤーを使うんだそうです。
「お花、好きでしょ?」
「好きです」
 だからここのアルバイト募集に来ました。
「本気で言ってるからね。もしも高校出てすぐに就職することを考えているんだったらの話だけど。何だったらすぐお父さんに相談するから。大学に行くんだとしても、そのままずっとバイトしていてほしい」
 向いているのかな。私はお花屋さんに。
「そうだ、今日、生け込み、一緒に行ってみようか」
 希美さんが言う。
「生け込み、ですか?」
「お店とかに直接花を持ち込んで、その場で花を生けて飾ってくるの。まぁ言ってみれば生花配達のバリエーションね」
 そういうのも、お花屋さんのお仕事にあるんですね。
「え、でも今日は〈モンペール〉でしょ? 酒場に女子高生連れてっていいの?」
 優美さんだ。
 酒場?
「開店前だから平気よ。別にお酒を飲みにいくわけじゃないんだから」
 
 よくお店に花が飾ってあるのは、そこのお店の人が買ってきて自分で生けることももちろんあるだろうけれど、お花屋さんに頼むと花を持ってきてきちんと生けてくれるんだそうです。
 生け込みというのは、そういうもの。
〈花の店 マーガレット〉から歩いて五分ぐらいのところにある商店街。その一本向こうは駅前通りで、いちばん賑(にぎ)やかなところ。飲食店とかもたくさんあって、今のところ六軒の生け込みを扱っているんだって。
 その六軒のうちのひとつが、バー〈モンペール〉。四階建てのビルの二階にあります。一階には洋食のレストラン〈末広亭(すえひろてい)〉があって、そこにも生け込みに来ているんだそうです。
 今日は〈モンペール〉だけ。
 夕方の四時。希美さんが全部自分で選んで用意した切り花を、新聞紙を広げて包んで私が抱えて持っていきます。希美さんは小さな水筒と剪定鋏(せんていばさみ)をガーデニング用ベルトポーチに付けて。
 カッコいいんです。まるで西部劇のガンマンみたいで。ポーチには他にもワイヤーやテープや生け込みに必要になるかもしれない小道具が詰まっています。
 そういうのに、たとえば華道の先生になるような資格が必要なのかなと思ったけれど、お花屋さんをやるのにそういう資格は必要ないそうです。ただ、華道を習った経験があればそれは多少は有利になるとか。
 希美さんも、一応は華道の教室に通っていろいろ勉強したけれども、先生とかにはなっていないそうです。
 まだお店は開いていないのに、どうやってお店に入るのかなと思ったら、希美さんは二階に上がってちょっと豪華な扉をコンコンとノックしながらいきなり扉を開けます。
「失礼しますー〈マーガレット〉ですー」
 お店の中から、ちょっとあまり感じのよくない匂い。
「はーい、お疲れ様ー」
 お店のカウンターの奥から声がしました。女性の声。あそこはキッチンなのかな。私も店に入って行くと、その人もカーテンの向こうから出てきて私を見て「あら」って感じで微笑みます。
「新しい子?」
「春からバイトに来てる、由希美ちゃんっていうの。まだ高校生よ」
 和服を着た女性。ここのママさんなのかな。
「よろしくお願いします」
「可愛いわー。よろしくね由希美ちゃん。〈モンペール〉の仁美(ひとみ)よ」
 仁美さん。
「由希美ちゃん。生け込むのはそこの花ね。ここの床に花を広げて並べて」
「はい」
 カウンターの横の壁に、四角いスペースがあってそこにきれいな花が飾られている。上から照明も当たっているから、ここは何かを飾っておくために作られたインテリアのスペースなんだ。
「ちょっと匂うでしょ店の中。換気扇回したからもう少しで匂わなくなるから」
 仁美さんが言います。
「こういうお店ってね。どうしても閉店すると匂いが篭(こも)っちゃうのよ。お酒とかいろんなものの匂いが混じり合っちゃってね」
「すえた匂いって言うわよね」
 すえた匂い。そうか、すえた匂いってこういうのを言うのか。何かで読んだことがあるけれども、今までどんな匂いなのかわからなかった。
「はい、じゃあこれはもう一枚新聞紙広げて置いていって。お店に下げるものだから」
「はい」
 今まで飾ってあったお花を、散らしたりしないように静かに一本ずつ取っていって床の新聞紙に置きます。
「花台のお水を捨てさせてもらって。そう、カウンターの中に入って」
「どうぞー」
「失礼します」
 花台の水をこぼさないようにカウンターに入って、シンクに捨てます。
「軽くすすいでね。そして水気を取る」
 希美さんも一緒に入ってきて、持ってきていたスポンジで花台を軽く洗って、タオルで拭きます。
「お水はうちから持ってきたのを使うから」
 きっと栄養剤とか入っているんでしょう。だから持ってきたんですね。あと、水を使えば水道代もかかるから。
「由希美ちゃんコーヒー飲めるー?」
「あ、飲めます」
「今、淹(い)れるから飲んでってね。うちのコーヒー美味しいのよ。いつも飲んでくから気にしないで」
 仁美さんが言って、希美さんも微笑んで頷いた。そうか、バーでもコーヒーは出せるのか。
「見ていてね」
 希美さんが、花台に剣山を置いて、差していきます。
「必ず剣山を使わなきゃならないってことでもないの。普通にオアシスを使っていいし。でも、ここの花台は低いからオアシス使うと見えちゃうでしょ?」
「そうですね」
 オアシスというのは緑色の硬いスポンジみたいなもの。お水を吸うのでそこに花を差して生けるんです。
「だから剣山を使うけど、もしもベースのところを隠せるんだったら、オアシスでも充分」
 なるほど、って頷きます。わかります。とにかく真正面から見てお花がきれいになるように、そう見えるように考えながらお花を生けていく。
 センスだと思いました。何かをデザインするのと同じ。
「素人でもお花は生けれるんだけどね」
 仁美さんがコーヒーカップを運んでカウンターに置きながら言いました。
「やっぱりね、知っている人がやるのと素人がやるのとは全然違う。同じ花を使っているのにこうも変わるもんかってほどに、印象がまるで違うからね」
「生けるのに決まりとかはないんですよね?」
「ないわよ」
 簡単に希美さんが言います。
「お花を生けるのに、こうしなきゃならない、なんていうルールは何もない。もちろん、こういう形の花を使う場合はこうした方が納まりがいい、なんていうパターンみたいなのはあるけれども。でも、自由なのよ」
「自由ですか」
「その人が美しいと思った形を表現する。それをお客様が同じように美しいと思ってくれればそれでいいの」
 そういうものなんでしょうか。
「まぁでも、あれよ?」
 仁美さんです。
「カレーライス作るのに、いろんな種類のカレーをたくさん食べていればどんなものが美味しいかってよりわかるでしょ? カレー以外の料理のこともたくさん知っていればもっと美味しく作れる。何でもそういうものよ、世の中って。だから、若いうちにたくさんいろんなことを勉強しなさいってことよ」
「そうね」
 希美さんも頷きました。
「私、絶対に学校ではもっといろんなことを学ばせるべきだと思うわ」
「世の中の仕事ってものをね。算数や国語も大事だけれど、人間が生きていくのに必要な物事を」
 そうそう、って二人して頷きます。確かにそうかもしれません。実際に働いてみないとわからないことってきっとたくさんあるのに、学校ではそういうことは全然教えてくれないから。
 何か、音がしました。
「うん?」
 皆で、何かしら、って頭を動かします。
「騒がしいわね」
 下です。ビルの中です。
「叫び声しなかった?」
「した」
 しました。
 悲鳴が、聞こえました。
「何?」
 仁美さんが、外の様子を見ようとして扉を開けた途端に、車の走り去るような音も響いて、たくさんの声が聞こえてきます。
 警察! という叫び声のようなものも。
 警察?
 

 

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