〈カラオケdondon〉の奥まった一室。そこは通称〈バイト・クラブ〉のための部室。ここの部員になるための資格は、【高校生の身の上で「暮らし」のためにバイトをしていること】。〈花の店 マーガレット〉で働く由希美は、酒場の生け込みを手伝いにいくことになるのだが……。

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紺野夏夫(こんのなつお) 県立赤星(あかほし)高校三年生 
〈カラオケdondon〉アルバイト店員

 
 忙しいときには本当に忙しいんだ。全部の部屋が埋まっているときなんかは、常にそれぞれの部屋を動き回ってる。
 灰皿を回収して回ったり、飲み物や食べ物のコップや皿を回収したり。そして洗い物ね。出前で取ったものはきちんと洗って返してあげるっていうのも、マナーだ。お互いに気持ちよく商売しないとさ。
 あと、お客さんの様子を見回ったり。
 お客さんを見回るっていうのは、前に熱唱しているときに倒れたお客さんがいたからだ。特に酔っ払ったおじさんやお年寄りとかいると注意している。様子がおかしいってなったらすぐに気づけるように。
 あと、大人の中に俺らみたいな未成年が混じっていたら、お酒とか飲んでいないように見張るっていうのも、ある。本人たちが警察とかに注意されるんならいいけど、それでこっちにとばっちりが来るっていうのもあるから。
 今日みたいに二部屋しか埋まっていなくて、まったく暇なときにはどうするかっていうのは、勉強したりしてる。
 一応、高校生だから。
 筧(かけい)さんも、暇なときには勉強してろっていうし。勉強っていうのはテスト勉強もそうだけど、将来のためになるような何か。
 もしも漫画家になりたいなら漫画読んでいてもいいし漫画を描いていてもいいし、テレビの仕事をしたいんなら勉強のためにテレビ観ていてもいいし、何かの雑誌を読んでいてもいい。とにかく、暇だからってボーッとはしてるなって。
 そういうときには、筧さんも奥さんも奥に引っ込んでそれぞれに事務みたいな仕事をしていて、カウンターに一人になる。
 本を読むことが多くなってる。小説もあるけれど、ノンフィクションっていうもの。広矢(こうや)さんがいろいろ持ってきてくれてる。
 本は、無駄にならないって。
 どんな本でも読んでおけば、読みたいと思ったものをきちんと読んでいればそれは自分の栄養になっていくんだってさ。それはもう間違いないからって。
 確かにそうかも、って思ってる。
 ここに来てから、広矢さんとか筧さんが部屋に置いていってる本をいろいろ読んでいるんだけど、見方っていうか、視野っていうか、そういうものが拡がったような気がしている。あと、単純に言葉をいろいろ覚えた。
 覚えたんじゃないな。使い方が上手になっている気がする。
 そして、そういうものってものすごく生きていく上で大事なものなんだなっていうのも、わかったような気がする。
 小説は、登場人物の性格とかでその人の喋(しゃべ)り方を決める。そしてその喋り方は、その人の人生を決めていく重要なパーツになるんだ。
 乗る車、みたいな。
 軽トラックにしか乗れないような喋り方の登場人物とか、ジープに乗るのが似合う人とか、将来は高い外車に乗るんじゃないかって思わせる登場人物とか。
 そういうのに気づいたら、周りの人たちがどんな人なのかっていうのに、ピントが合ってきた気がする。
 筧さんは、穏やかな人だと思っていたけれど実はラフシーンとかに血が騒ぐ人でもあるんじゃないかって思ったりする。ピントが合うってそういうことだ。
 自分にはまだまだ見えてないことがたくさんあり過ぎるんだって、本を通してわかってきたような気がしてる。広矢さん、すげぇなって。やっぱり大人ってダテに長く生きていないんだなって。
 広矢さん、小説家になるかもしれないんだよね。
 まだ結果は来てないらしいけれど、新人賞を取ったら、本を出せるんだ。
 でもただ出しただけじゃとても小説家なんて名乗れないって言ってる。
 デビューして、本が売れて、その後にしっかり仕事として成立するぐらいにならなきゃならないんだって。そりゃそうだと思う。
 カラオケ屋さんだって、金さえあれば誰でもなれる。でも、カラオケ屋を開いてちゃんと商売として成り立って初めてカラオケ店を経営してるって言えるんだ。どんな店もそうだけど、毎年何百軒っていう店ができて、そして何百軒も消えていくんだって。
 将来、何をやって生きていくんだろう。
 最近、ずっと考えている。
 進路を決めなきゃならないんだ。どっかの大学に行くんなら、早く決めて先生に言わなきゃならない。もちろん、母さんにも。
 大学に行かないんなら、何かの専門学校に行くのかそれとも就職するのか決めなきゃならない。
 何にも決めなかったら、このままずっとカラオケ店で働くんだ。それだって、筧さんがこの商売を辞めてしまったら、終わりになるんだ。
 今まで、大学なんて金の無駄だし、あの男の金を使うようになったらおしまいだなって考えていたけれど、それは違うみたいだって、皆が教えてくれたことで思うようになった。
 偶然って凄いなって。
 偶然、筧さんや広矢さんが誘ってきて〈バイト・クラブ〉で一緒になった皆が、本当に偶然繋がっていって、あの男のことがわかってきて。
 それだけで、俺の人生が百八十度変わってしまうかもしれないって。
 本当に凄い。
 
 晩ご飯を交代で食べて、七時過ぎた。
 バイトが終わる九時を、毎日意識するようになってる。今日は日曜日で誰も来ないはずだけど、つい九時が近いって考える。
 平日の皆のバイトが終わる時間だから。
 この日は来るっていう印をそれぞれカレンダーに付けているけれど、みんなが集まれる日を大体は決めているんだ。
 日曜日は、ほぼ全員が朝からバイトで入るようにしているから、夜は帰って家で過ごすっていうパターンになっている。
 だから、今夜は誰も来ない。そのはずなのに、ドアが開いたので「いらっしゃいませー」ってそっちを見たら。
「あれ?」
 三四郎と、由希美ちゃん。
「こんばんは」
 二人で来たから、デートでどっかで晩ご飯食べてついでにカラオケでもしに来たのかなって思った。
「デートか? 歌ってく?」
 もちろんいつ来ても〈バイト・クラブ〉の七号室は空いている。この後、何もなかったら俺も少し七号室でのんびりしてから帰ろうかなって思ってたけれど。
 違うな、ってすぐにわかった。
 二人の表情が、なんか暗い。真面目だ。
「どうした?」
 筧さんも裏から出てきて、二人に声を掛けた。
「何かあったの?」
「あのね、夏夫くん」
 由希美ちゃんの眉間に皺(しわ)が寄ってる。そういう表情をすると由希美ちゃんってものすごく真面目な女の子に見える。いや真面目な子なんだけどさ。
「何も連絡は入っていないんだね? お母さんからとか」
 三四郎が続けて言った。
「母さん?」
 なんだそりゃ。
「何もないけど」
「私、今日花屋さんのバイトで、生け込みっていうのをやってきたの。お店に行ってそこで直接花を生けて飾ってくるっていうもの」
「うん」
 話が全然見えないけれど、言ってることはわかった。花屋さんの出張生け花みたいなもんだな。
「駅前通りのバー〈モンペール〉っていうところ。四階建てのビルの二階なんだけど、一階には洋食レストラン〈末広亭〉っていうのがあって、そこで私たちがいるときにね」
「あっ」
 筧さんが声を上げた。
「なに?」
「さっきニュースでやっていたよ! そこで発砲事件があって人が死んだって!」
「発砲?!」
 由希美ちゃんがうんうんって大きく頷いた。
「え、そこに由希美ちゃんが居合わせたのか? 大丈夫だったのか?」
「私は全然。二階のそのバーにいたから。でも、一階が騒がしくなって、何があったんだろうって聞いていたの。そうしたら『長坂(ながさか)さんが撃たれた!』って声が聞こえてきて」
 長坂さんが撃たれた?
 筧さんが慌てたように手を振った。
「暴力団同士の抗争か、ってニュースでは言ってた! 誰が撃ったとか撃たれたとかはまだ出ていなかったけど、長坂さんって、夏夫の父親か?!」
 親父なのか?
「それでね、そこのバーのママさんが、知り合いに確認してくれたの。一階のお店のね。確かに、暴力団の組長の長坂って人が来ていて、いきなり入ってきた男に撃たれたって。だから」
「撃たれたのは長坂さんで間違いないと思うんだ。僕も由希美から連絡貰って、とりあえず夏夫くんに教えた方がいいと思って」
 そうか。
 それで来てくれたのか。
「夏夫くん」
「うん」
 母さん。
「僕らが心配することじゃないって言われるかもだけど、家に帰ってお母さんと話した方がいいんじゃないかな。そして」
 車のブレーキの音が響いたと思ったら、扉が開いて誰かが駆け込んできた。
「夏夫くん!」
 悟(さとる)。
 皆が悟を見て、悟も由希美ちゃんと三四郎を見て。
「ニュース見たの?」
「由希美は、あの現場にいたんだ。それで」
「本当に?! 俺はさっきニュースで見たんだ。店長も一緒に」
 店長さんか。親父と同級生だっていう人。
「店長が、夏夫に知らせた方がいいって。あと、お母さんと一緒にしばらくどこかに行っていた方がいいんじゃないかって」
「どこかって」
 え、どこだ。
 どうしてだ。
「何があるかわからないって。お母さん、長坂さんの奥さんなんだよ。店長、長坂さんに頼まれていたんだ。自分に何かあったときには、ひょっとしたら志織(しおり)にも火の粉が掛かるかもしれないから、落ち着くまで力を貸してやってくれって。今、店長の車で来ているんだ。とりあえず、お母さんのところに行こう。家へ帰ろう」
「そうした方がいい」
 筧さんが言う。
「とにかく、まずはお母さんと話をしよう。そして確かめられるものなら、きちんと確かめた方がいい」
 本当に、親父が撃たれたのか。
 死んだのか。
 
 

 

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