子どもの頃、母が握るおにぎりが大好きだった。茶碗に盛ったご飯と同じお米のはずなのに、別物のように美味しく感じる――(写真はイメージ。写真提供:photoAC)
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今、恋しくなる味

孫は、素手で握ったおにぎりが食べられない。よってラップで握ることになるのだが、これがあまり美味しくないのだ。

子どもの頃、母が握るおにぎりが大好きだった。茶碗に盛ったご飯と同じお米のはずなのに、別物のように美味しく感じる。「どうしてこんなに美味しいの?」と聞くと、母は「おにぎりには母さんの手の汗の塩分とかいろんな菌が混じるから、それがうまみになるのよ」と言った。

私はそれを特に不潔だと思うこともなく、そういうものかと納得した。これは糠床にも同じことが言える。母がかき回した時と、私がかき回した時とで微妙に味が変わったように感じたのは、手の菌の違いだったのだろう。

コロナ下で手指の消毒が必須になった。おにぎりや糠漬けを美味しくする素となる、悪さをしない常在菌までもが殺されてしまうとしたら、もったいないことだ。

孫の母である息子の妻も潔癖症で、他人が作った和え物は、何が入っているかわからないから食べられないそう。「他人」のうちには姑である私も入っている。和え物でダメなら、素手でひっかきまわした糠床など考えられないだろう。

もちろん、そういった感覚は人によって違うので、とやかく言うことではない。しかし、それでも最近の潔癖主義には一抹の寂しさを感じてしまう。


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