相手の中に愛を「生産」する

愛においては、相手の中に愛を「生産」する。フロムは、相手の中に愛を与える、つまり「生産」すれば自分に返ってくるというのだが、愛を物の授受のように考える人が言うような、「愛はギブ・アンド・テイクである」という意味とは違う。

与えることはそれだけで完結する。愛をギブ・アンド・テイクとしか見られない人は、相手を愛しているのに愛されないと不満に思い、愛してくれない相手に怒りすら感じる。これだけのことをしたのに、何も返さないと思う人も同じである。

目に見えた仕方で返ってくるのでなくても、与えることが自己完結的であると知っている人は与えるだけで満たされる。それが「返ってくる」ということの本来の意味である。愛することの見返りがなくても、愛した人から愛されようが愛されまいが返ってくる。

子どもを愛する親は、子どもから愛されたいと思うが、子どもに愛されなかったら愛さないわけでもないだろう。これだけ子どもを愛しているのだから、子どもから愛されて当然と思って、子育てをすると落胆するはめになる。