都市型電鉄会社への転換

戦後、東急から独立した相鉄は、横浜駅周辺の開発に力を入れる。

一方で、鉄道事業の拡充にも取り組んだ。

しかし、全線電化は1944(昭和19)年に済んでいたものの、1974(昭和49)年3月まで、全線複線化は完了しなかった。

この間、沿線は横浜の郊外住宅地として発展していく。相鉄も宅地開発に力を入れ、スーパーマーケットなどの関連事業も行なうようになった。

宅地開発とあわせて相鉄発展の源(みなもと)になったのは、相鉄いずみ野線の建設である。

東京圏の大手私鉄としては、異色の経歴を持つ鉄道である(写真提供:Photo AC)

1976(昭和51)年に二俣川からいずみ野までの区間が開通。1999(平成11)年3月に湘南台までの全線が開業した。

このように、鉄道事業の強化、不動産事業への注力、生活関連産業の充実と、過去の東急グループがやってきたことを手本にするような施策に取り組み、企業を発展させていったのが相鉄である。

横浜駅の相鉄ジョイナス内の百貨店は、自社系列ではなく高島屋がテナントとして入っているものではあっても、一応は百貨店として存在しており、ビジネスモデルの観点からは貨物中心の私鉄から都市型電鉄会社への転換に成功しているといえる。