見事な政治家、道長と紫式部

さて彰子の教育係として道長から抜擢された一方の才女紫式部はどうしたか、清少納言との違いをながめてみよう。

この世の春となった彰子の元にあって彼女の才もまた大きく開花する。

道長の歌、「この世をばわが世とぞ思ふ望月の 欠けたることもなしと思へば」。

道長という人は権謀術数を駆使して権力を手中に収めた後、相手方をめった打ちにして、再び立ち上がる力をなくしたのを見て、以後温和に扱うあたり、実に見事な政治家である。

恨みを恨みのまま残すのではなく、許す方向に持って行き、太平をもたらすという老獪さを持ち合わせていた。

しかし、彼が、彰子のためにあつめた女性達はそうではなかった。恋多き女として知られる和泉式部などは、定子方の清少納言の才をスカッと認めていたが、紫式部はそうではなかった。

「枕草子」の中に書かれた紫式部の夫藤原宣孝(のぶたか)や従兄藤原信経(さねつね)についての描写を決して許すことができなかった。

清少納言の直情的にものを言うその言葉によほど傷ついたのだろう。

清少納言の方にも自分より若くして力を発揮した閨秀(けいしゅう)作家・紫式部に思う所あったのか。しかし、それほど深い悪意があったとは思われない。