作品の精巧さと同様に、恨みも深かった

紫式部と清少納言にはライバル関係が?(写真提供:Photo AC)

というのは清少納言という人の性情は、ねちこく誰かに妬みを持つという所が、その言動からして感じにくく、むしろ紫式部が必要以上に清少納言を意識した結果だと思う。

もう一つ紫式部の氏・素性は辿ることができるほどしっかりしたものだったために、位の低い清少納言から言われたことを許せなかったこともあろう。この時代いくら女自身に才があろうとも、男の係累が物を言ったのである。

『清少納言こそ、したり顔にいみじう侍りける人。さばかりさかしだち、真名書き散らして侍るほどもよく見れば、まだいと足らぬこと多かり。かく、人に異ならむと思ひこのめる人は、かならず見劣りし、行末うたてのみ侍れば』(「紫式部日記」)

紫式部の恨みは激しく、決して許すことはない。現在の清少納言への悪口、さらに清少納言の将来にまで思いを馳せる。

このことから見ても紫式部という人はその作品「源氏物語」の精巧さから見ても人に心の内を見せることがなく、優秀なだけに、かえって煙たがられることもあったのではないか。

まわりの女官達からは尊敬されても近づきにくい所があり、性格的にも清少納言とは違って隙のない人物のような気がするのである。

※本稿は『ひとりになったら、ひとりにふさわしく 私の清少納言考』(草思社)の一部を再編集したものです。


ひとりになったら、ひとりにふさわしく 私の清少納言考』(著:下重暁子/草思社)

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