11歳で賀茂斎王に

式子の父は後白河院。彼女はその第三皇女である。

『謎の平安前期―桓武天皇から『源氏物語』誕生までの200年』(著:榎村寛之/中公新書)

平治元年(1159)。平安時代の幕引きの始まりといわれる平治の乱が起こった年に、11歳で賀茂斎王となった。

「賀茂斎王」とは、伊勢神宮に仕える「伊勢斎王」と同様、未婚の皇族女性がいわば天皇の代理として神に仕えるもので、9世紀前半に始まった制度である。

斎王は天皇即位の直後に、海亀の甲羅を焼いて占う「亀卜」で選ばれるのが建前だが、賀茂斎王の場合、数代の天皇にわたって一人の斎王が仕えることもあった。

伊勢と違い、京にごく近いという親近感もあったのだろう。その御所も斎王の宮殿「斎宮」ではなく、斎王の邸宅「斎院」と呼ばれ、伊勢と賀茂の斎王を呼び分ける時には、斎宮の誰々内親王、斎院の誰々内親王、などと言うようになった。

その全盛期は、円融天皇から後一条天皇まで五代、道長全盛時代を共に生き、文学サロンの女あるじで、自らも歌人だった大斎院と呼ばれた村上天皇の皇女、選子内親王の時である。