夕映えの中の弓張月のような存在だったのかも

彼女の生きた時代はまさに平家全盛期から源平合戦の頃で、同母兄弟に以仁王や亮子内親王がいる。

以仁王は治承四年(1180)に全国の反平家勢力に蜂起を促して挙兵したことで知られている。

亮子内親王は伊勢の斎王になった姉で、退任後に大きなサロンを持ち、殷富門院という女院(女性で太上天皇に準ずる地位)になり、源平合戦の時代にもニュートラルな立場を保ち続けた。

式子にはそんな目立つ動きはなく、戦乱の時期には、叔母で当時の権力者の一人、八条院暲子内親王の庇護下にあったとみられている。しかしその晩年は、八条院を呪詛した疑いをかけられるなど、決して平穏とは言えないものだった。

愛子内親王もご覧になった『時代不同歌合絵巻断簡(斎宮女御、式子内親王) 』 。室町時代。斎宮歴史博物館提供(24年秋の特別展「中世の斎宮とその時代背景」で再度展示予定)

そして賀茂斎院は式子の後、次第に途切れ途切れになり、彼女が亡くなった二十年ほど後、承久の乱の混乱期に廃絶してしまう。

伊勢斎宮が国土を照らす太陽なら賀茂斎院は京を照らす月。

大斎院選子が道長政権の栄華を照らす満月だとすれば、式子内親王は平安時代の夕映えの中の弓張月(三日月)のような存在だったのかもしれない。


謎の平安前期―桓武天皇から『源氏物語』誕生までの200年』(著:榎村寛之/中公新書)

平安遷都(794年)に始まる200年は激変の時代だった。律令国家は大きな政府から小さな政府へと変わり、豊かになった。その富はどこへ行ったのか? 奈良時代宮廷を支えた女官たちはどこへ行ったのか? 新しく生まれた摂関家とはなにか? 桓武天皇・在原業平・菅原道真・藤原基経らの超個性的メンバー、斎宮女御・中宮定子・紫式部ら綺羅星の女性たちが織り成すドラマとは? 「この国のかたち」を決めた平安前期のすべてが明かされる。