「そして、若い料理人が包丁の扱いを覚えるのに役立ってるんだそうです」
「包丁の扱い?」
「大根の桂剥きで包丁の練習をします。それが刺身のツマになるのです」
 テツは滅多に発言しないが、彼の言葉には必ず役に立つ何かが含まれている。日村はそう思っていた。
「つまり……」
 健一がテツに言った。「寺の鐘も、普段は気づかないけど、何かの役に立っているってことだよな」
 テツは黙って健一を見ていた。否定も肯定もしない。彼はわからない質問にはこたえないのだ。
 日村は言った。
「時計を持ち歩く人などいない時代に、寺の鐘が時間を知らせていたんだ」
 真吉が言う。
「そうか。昔は役に立っていたんですね」
 それに対して、健一が言った。
「でも、今じゃみんな腕時計やスマホを持っていますから、寺の鐘が時刻を知らせる必要はないですよね」
 日村はこたえた。
「住職が言うには、鐘を鳴らすのは祖先の供養のためなんだそうだ」
 健一が考え込んだ。
「供養ですか……。それは役に立つとか立たないとかの問題じゃないですね」
「そうだな。先祖供養が日頃の生活にどう関わっているか、俺たちにはわからない」
「目に見えないからといって、役に立っていないと考えちゃだめな気がします」
「そうかな」
「ええ。先祖供養が何の役に立っているかわからないけど、やったほうがいいと思います」
「やらなくてもいいんじゃないか」
「そういうことをちゃんとやらないと、ご先祖様に申し訳ない。みんながそう思って暮らしている世の中のほうが、そんなことを気にしない世の中よりも暮らしやすい気がします」