早蕨幼稚園
貞雄はやがてシンガポールからニューヨークへと勤務地を移すことになりますが、ノブと嘉子はニューヨークへは行かず、1916年に帰国し、香川県丸亀のノブの実家でしばらく生活しました。
その年に弟の一郎も生まれています。
1920年、東京勤務を命じられた貞雄は帰国し、この機会にノブと嘉子も東京に移って一家で渋谷区に居を構えました。
渋谷区穏田1丁目の早蕨幼稚園(近代文学の発展に貢献した教育者・久留島武彦<1874―1960>が開いた幼稚園です。1910年の開園で、児童文学者巌谷小波<いわやさざなみ><1870―1933>の影響を受けて、桃太郎主義教育<桃太郎を教育論と結びつけ、秀才教育の必要性を説く>を掲げていたようです)に入園し、翌1921年には青山師範学校附属小学校(現在の東京学芸大学附属世田谷小学校)に進みました。
担任は、体育ダンス研究・普及の先駆者だった渋井二夫であったといいます。