幸せな暮らし

1926年、渋谷区緑ヶ丘に転居、さらに1929年に港区笄町(こうがいちょう)に移り住み、1931年には同じ笄町の中でまた引っ越しをしました。

父の貞雄は、家を持たないことを一つのポリシーにしていたようです。

嘉子は両親、4人の弟たち(一郎・輝彦・晟造・泰夫)と明るく穏やかで幸せな暮らしを送っていました<『三淵嘉子 先駆者であり続けた女性法曹の物語』より>

笄町という地名はもうありませんが、現在の東京都港区南青山6丁目から7丁目にかけて、西麻布2丁目から4丁目の一部にかけての地域で、嘉子の家は西麻布4丁目にありました。

家は立派な邸宅でしたが借家で、市電の線路がすぐ近くを走っていました。

嘉子はここで両親、4人の弟たち(一郎・輝彦・晟造・泰夫)と明るく穏やかで幸せな暮らしを送っていました。