棗や水指を運び出す手間がひとつでも省けるのは楽でいいなと喜びつつ、師匠の許可を得て、引き手にぶら下がっている短くてかわいい布をそっと引いて襖を開けてみたら、見覚えのある棗が座っていた。

シルバニアファミリーの純和風のお部屋、といった感じで愛らしいのではあるが、基本の薄茶のお点前さえちゃんと覚えられていないのに、天井からぶら下がって安定しない釜と、このはじめての棚を前にちゃんとできるかどうか不安になる。それを見越したように、師匠が、

「なぜかこの棚のお点前は、みなさんちゃんとできるんですよ。だから大丈夫」

といってくださるが、私がちゃんとできるかどうかはわからない。

水屋で運び出す茶碗に、茶巾、茶筅、茶杓を仕込んでいるときに、

「棚があるときは、竹ではない蓋置を使うので、どちらでもお好きなほうを選んでください」

と教えられた。見ると棚に、桜の花が透かし彫りになっているものと、ぼんぼりの火が灯る部分を象った蓋置きがあった。ぼんぼりのほうを建水の中に入れ、柄杓を掛けておく。

(あーあ、また立ち座りをするたびに、痛くはないけど、足からいろいろな音が聞こえてくるだろうな)

と思いつつ、水指、棗はすでに棚にあるため、茶杓などを仕込んだ茶碗を持って、炉に対して斜めではなく、棚の正面に座った。そして茶碗の右真横、左手前と持ち替えて、勝手付に割りつける。

『老いてお茶を習う』(著:群ようこ/KADOKAWA)