私が子どものときにピアノを習っていた先生は、近所に住んでいた外交官の奥様だったのだけれど、レッスン室はご自宅の応接間で、次の生徒さんたちは同じ部屋のソファに座って、私が習うのを見学していた。もちろん叱られるのも見られているし、間違ったところも全部聞かれていた。
三味線のときは、他のお弟子さんたちは控えの間で待機しているため、お稽古部屋は師匠と私のマンツーマンだったが、もちろん弾いているのが聞こえる。間違えたところもみんなわかってしまう。その方が間違えたとしても、そこは間違えやすいところなのだろうし、自分も気をつけなければと思った。逆にまだ習っていない曲をお稽古されているときは、そのように弾くのかと勉強させていただいた。
できなかったら恥ずかしいという気持ちもわからないではないし、私もできれば恥はかきたくないが、恥をかくのもお稽古では必要なのだ。
こんな私でも、なるべくなら人前で恥はかきたくないが、失敗しても、やっちゃったものは仕方がないと諦められるようになった。年齢を重ねて図々しくなったのだろうが、情けないなあと苦笑するだけである。多くの場合、それで済むのである。
できないからお稽古しているのであって、こんな不肖の弟子で師匠には申し訳ない気もするけれど、どうしても恥をかくのはいやだという人は、お稽古事には向かないのかもしれない。