二口で食べられる小さな主菓子のみを出すという方法もあるかもしれないが、いただく側からすると、図々しいかもしれないけれど、ちょっと物足りないなと思ってしまう。それも教える師匠の方々の考えの違いなのだろう。
私の師匠は、
「食べづらかったら、かぶりついてもいいですよ」
といってくださるので、遠慮なくかぶりつかせていただいている。食べづらいもの、大きめのものを二口で、といわれたら、困ってしまうし、年齢も年齢なので喉に詰まらせてしまう可能性もある。
薄茶のときは、飲んだ後に左の手のひらに茶碗をのせ、口をつけた場所を、右手の親指と人差し指で拭くのだけれど、
「私は親指と薬指で拭くようにいわれていました」
という人もいた。どれが正しいというわけではない。小唄と三味線を習っているときも、同じ曲でも師匠によって、多少のアレンジが加えられていた。和物のお稽古は、師匠の教えが第一なのだと感じたのだった。
7、8年間、ずっと薄茶点前ばかりをお稽古しているので、周囲の人から、
「いったい何のためにやっているのか」
といわれているという人もいた。その理由をたずねると、薄茶、濃茶とお稽古が進んでいくと、お点前が複雑になってくるので、このままでいいかなと思っているそうだ。
「濃茶の仕覆の紐の扱いなんて、とても面倒くさそうだし」
たしかに先輩方の濃茶のお点前を見ていると、そう感じることはある。それでも彼女はずっとお稽古に通い続けているのだから、茶道は離れ難い魅力があるものなのだろう。
「『拝見ありで』といわれると、棗を帛紗で清めなくちゃならないから、心の中で『チッ、面倒くさい』と舌打ちしちゃうんですよね」
といったので笑ってしまった。