「食べ物には国境がない」
蒸しあがった麺は熱いうちに手でもみほぐし、竹で作ったスノコの棚に並べて陰干しします。水やり用のジョウロで麺にスープをふりかけて味をつけた後、金網でできた四角い型枠に詰め、百六十度の油が入った中華鍋にゆっくりとつけます。
麺を油で揚げる仕事は男手が必要になり、仁子の姉澪子の長男一馬と、四男那茅満(なつみ)が手伝いに来ました。
揚がった頃合いを見て引き上げると、麺は焼き菓子のように黄金色になっていて、香ばしいにおいが広がります。それを宏基が一個ずつ袋に入れました。明美はその袋を足踏みシーラーで閉じる役でしたが、シーラーの電熱部に触れてしょっちゅうやけどをしました。
実はこの頃、まだ国内で売れるめども立っていないのに、アメリカに輸出を始めていました。百福が親しかった貿易会社の知人に頼んで、サンプルをアメリカに送ってもらうと、すぐに五百ケースの注文が来たのです。
国内向けの製品は三十食ずつ段ボールに詰めていきます。アメリカ向けは、その段ボール六ケースをまとめて、さらに大きい段ボールに詰めました。一ケースの段ボールと区別するためにこれを単に“ボール”と呼んでいました。
ふたたび宏基の出番です。「作業の中で一番楽しかった」というボールに「MADE IN JAPAN」「EXPORT」と刷り込む仕事に熱中しました。これは百福がボール紙に筆で書いた文字を切り抜いて型紙にし、宏基がその上から墨を塗って転写したのです。
百福は「食べ物には国境がない」と感じていました。
「将来、ひょっとして世界的な商品になるかもしれないぞ」
そんなかすかな予感にふるえたのでした。