「またここへ戻ってきたのか」
試食販売の評判は良かったのですが、正式に販売するには、生産量がまったく足りません。資金もそろそろ底をつきかけていました。
「ああ、今月はもう千円しか残ってないわ」
仁子が大きなため息をつくのを、宏基は覚えています。
「あの頃は貧乏で、毎晩、イワシの煮つけでしのいだ」ことも。
いつまでも家族の手作業に頼っていては商売になりません。大量生産する工場が必要になりました。百福は知人に頼み込んで百万円の借金をしました。そのお金で、大阪市東淀川区田川通り二丁目にあった古い倉庫を借りました。十三の近くです。仁子にとって、少女時代に一番苦しい生活を強いられた場所でした。
「またここへ戻ってきたのか」と内心は穏やかではありません。でももう三十年近くの月日がたっています。街並みもずいぶんきれいになりました。あの頃の追いつめられた生活と、新しい目標に向かって進んでいる今の状況とは比較になりません。
「いろいろな苦労を乗り越えてきたから、いまの私がある」
また、クジラのように呑み込んでしまいました。すると、将来への不安は消えていきました。
ある日、工場の仕事を手伝っていた仁子が帰宅途中、十三大橋を渡っていて友人に出会いました。仁子は出来たばかりのチキンラーメンが入った段ボールケースを下げていました。
「いまご主人は何をされているんですか」と聞かれました。
「ラーメン屋さんです」
「あら、ラーメンですか」とちょっと驚いた顔です。
その頃、ラーメンというと引揚者や職を失った人が、仕方なくラーメン屋台を引くというイメージだったのです。
「主人は将来必ずビール会社のように大きくなると言っています。ラーメンにはビールと違って、税金がかかりませんからね」
そう言って胸を張りましたが、分かってもらえない様子でした。