そんなんじゃ内申に響くぞ
不登校となった子たちの学力テストの点数は軒並み落ちていく。1年生の初っ端から不登校になり、勉強はすべて独学だったので、私も例にもれず点数は下がった。しかし、私の点数を見たフリースクールの責任者が、「ここにいたら点数が伸び悩む。進学校に行ける学力があるのだから、学校に戻りなさい」と言った。半ば強引に学校に送り出され、保健室登校となった。
1年ぶりに学校の敷地内に入ったが、やはり、学校の空気を感じるだけで、いじめの記憶がフラッシュバックし、お腹が痛くなった。まもなく相談室が開設され、不登校気味の子たちが集まるようになった。そこで自習をする日々だったが、フリースクールと違って先生に分からないところを聞くことができた。3年生になり、1日1時間だけ、などごく一部教室で授業を受けるようになった。先生が、私を一番後ろのはじの席にしてくれ、他の生徒に私が入ってきてもジロジロ見ないように、と念を押してくれたらしい。また、音読は順番をとばす、発表であてないなども徹底してくれるなど、出来る限りの配慮をしてくれた。そのおかげもあり、卒業まで相談室に通いながら、週に何日か1時間だけ教室に入る、という生活を続けた。
一部授業を受けたり、わからないところを先生に質問できるということもあってテストの点数は安定し、5教科で400点(8割)を切ることはなかった。その結果を受けて、高校受験に向けた面談で担任はこう言った。 「あなたの成績なら、X高行けるよ」。X高とは、市内、つまり通える範囲で一番の進学校だ。私のど田舎の地元で、難関大を目指すなら実質そこに行くしかない。しかし、私は当時大学なんて考えたこともなく、不登校で内申点が非常に低いであろう私がX高に行けるだなんて思ってもいなかった。
言われるがままに受験したところ、合格した。学校に押し出してくれたフリースクールの責任者、X高に行くという可能性を示してくれた担任には、深く感謝をしている。
先生は「そんなんじゃ内申に響くぞ」と事あるごとに生徒をいびったし、生徒も、生徒会や委員会、行事での役職に立候補するときは口を揃えて「内申のため」と言った。一部では、内申点が高ければ多少成績が悪くても希望の高校に行ける、なんて言われていた。私は今28歳で、高校受験をしたのは10数年前なので、内申点をめぐる状況は今とはが違うだろうが、当時もみんな内申点をこれでもかというくらい重視していた。