「父と母、2人のためのお墓だし、これで終わりにしていいと思ったんです」 撮影:宮崎貢司

 

父の三十三回忌の時、母は私に「弓子、お父さんのお墓を建てなさいよ」と言いました。そこで私は、高田のお寺に新たなお墓を作ったのです。その地域の風習でしょうか。お墓の蓋をあけたら、底は土のまんま。そこに、ざらざらとお骨を撒くんです。最後は骨壺にお水を入れて、じゃらじゃらと混ぜて、ひとかけらも残らないようにザーッ。まさに「土に返る」イメージです。

立ち会ってくださった住職さんも、「これでいいんです。理想的です」と、おっしゃった。それを見ていた母は、しみじみ、「これ、いいわね。私の時も、ここでそうして」と。ですから母が亡くなった時、希望通り、母のお骨をお墓の底に撒きました。そして「私もいずれここに入るんだな」と、ずっと思っていたのです。

母の命日は4月4日なので、今年も高田にお墓参りに行きました。ところが、自分もここに入りたいかというと、そうでもないことに気づいて(笑)。ここは父と母、2人のためのお墓だし、これで終わりにしていいと思ったんです。

もし夫より私が先に逝ったとしたら、私をここまで連れてくるのは大変。しかも私には子どもも孫もいないので、お参りする人もいない。だったら、このお墓はもうおしまいにして、自分は跡形なくきれいさっぱり消えるのがいいな、と。

今は夫と同じく、海に撒いてもらいたいと思うようになりました。海はまだ満席ではないでしょうし(笑)。せっかくなら、きれいな海に散骨してほしいですね。

お墓に関する考え方は、人それぞれでしょう。遺された家族にとっては、お参りする場所があることが、故人を偲ぶよりどころになるかもしれません。私も毎年のように、両親のお墓参りをしてきましたが、そこに両親はいないと思っています。母の遺体を見て、これはもう母ではないと思いましたもの。

というのも、母が亡くなる時、服を脱ぐように身体を脱いでふっと上がっていくのが実感としてわかったのです。でも母は、「この身体に戻りたい」と思っているな、とイメージできた……だから、「もう帰れないのよ」と話しかけ、祈りました。