邸内に肉親は弟一人

宣孝は正暦(しょうりゃく)元年(990)8月30日の除目(じもく)で、筑前守(ちくぜんのかみ)に任じられた。

「未だ検非違使(けびいし)の巡(じゅん)に及んでいない。何の理由が有って任じられたものであろうか」と実資に非難されているが(『小右記』)、やがて任地に赴任したことであろう。

なお、『石清水文書』所収「筥崎宮塔院所領官符(はこざきぐうとういんしょりょうかんぷ)」によると、大宰少弐(だざいのしょうに)も兼ねていた可能性もある。

為時と違って有能で世渡り上手な宣孝は花山天皇の退位後も(六位蔵人(ろくいのくろうど)は自動的に停任(ちょうにん)となったものの)左衛門尉(さえもんのじょう)を解任されることはなく、検非違使に補されていたのである。

ここで道隆によって受領(ずりょう)に抜擢されたことになる。